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発作性上室性頻拍症
ネットで調べてみた
決めちゃいました!
3泊4日入院
術後

 

 

■発作性上室性頻拍症■

「突発性上室性頻拍症」、少し長たらしい病名ですが、始めて聞かれる方がほとんどだと思います。心筋梗塞とか狭心症のようにあまり頻繁に聞かれる病名ではないと思います。実は、私が生まれながらにして患っている病気なのです。つまり先天的な病気で、父親のDNAによるものです。

 どのような症状が起きるかと言うと、急に脈拍が速くなります。本当に「いきなり」なのです。床に落としたものを拾おうとしてかがもうとしたり、後ろを振り向こうとしたりしたのがきっかけになることもありますが。身体を全く動かしていない就寝時に起きることもあります。

 どのくらい早くなるかは、その時の状況や個人差があります。私の場合は120〜160回/分くらいですが、場合によっては200近くにまで上がってしまうケースもあるようです。それがどのくらいの間続くかも非常に幅があります。短いと数秒、長いと数時間と言う場合もありました。

 最初に症状が出たのは小学生の時です。急に脈拍が速くなり、先生に相談したら保健室に連れていかれました。そして、ベッドの上で安静にしていると、いつの間にか正常に戻っていました。その時は、勤めに出ている母親に連絡が行き、迎えに来てもらったように記憶しています。

 ただ、それ以降、中学、高校、そして大学と、発作は起きていたのでしょうが、あまりその症状で悩まされた記憶がないのです。運動なども特に制限しないで行っていました。

 一番ひどかったのが、社会人になり、勤め先まで片道20`を自転車で通勤していた時期です。毎日、けっこうタイムを気にしながら自転車を走らせていましたので、それがよくなかったのでしょう。

 毎日、何回も発作が起きるのです。もちろん仕事中にもです。いわゆる、運動をしたときの脈拍が速くなるとは少し違う感覚です。運動をして脈拍が速くなった場合は、体温も上がっているし、息も切れていたりしますので、「脈拍が速くなる」というのは一連の運動による体の反応のうちの一つです。しかし、この発作は、心臓の鼓動だけが激しくなりますので、体温が上昇したり、息切れがすることはありません。ですから、場合によっては、心臓の鼓動する動きに合わせて上半身が揺れるのが分かります。

 ある日、発作が出て、1、2時間しても止まらずちょっと気分が悪くなってきたので、近くの公立病院を受診しました。

 まずは心電図を取り、依然、脈拍は高い状態が続いていましたので、「点滴をして止めましょう!」という話になり、その準備をしているときに突然正常に戻りました。

 先生曰く、

 先生:「先天的なものなので…。ただ、これが原因で死ぬことはないので安心してください。もし発作が辛い

     場合は、薬で症状を和らげることも可能です。」

  私:「副作用はありますか?」

 先生:「そんなに重い副作用はないけれど、う〜ん、運動能力が多少落ちるかな〜。例えば、野球の選手で言

     えば、打率が3割くらいのが2割9分8厘くらいになるくらい…。」

 別にプロの野球の選手でもないし、それくらいの運動能力の低下はどうでもよかったのですが、「薬を毎日飲み続けなければならない」ということに少し抵抗感があり、「今までも何とかやってこれたし…」と思い、その日は特に薬をもらうこともなく帰宅しました。もう20年くらい前の話です。

 実はこの病気、幸か不幸か、発作が起きたときに心電図を取ってもらわないと、全く分からないのです。ですから、会社などの健康診断で心電図を取ってもらったりしても「問題ないですね!」とずっと言われてきました。

 さて、自転車通勤ですが、発作が続く原因になっていることは分かっていましたので、電車通勤に変えることにしました。そうすると、症状は落ち着きました。全く出ないわけではありませんが、毎日激しいのが続くことはなくなりました。

 それから数年間は、特に激しい発作で悩まされることもなく過ごすことができました。しかし、フィットネスクラブでエアロビクスダンスをやり始め、やり慣れるに従って上級のクラスを受けるようになった頃に再び激しい発作が出てくるようになってしまいました。

 つまり、激しい有酸素運動をつづけて行うと発作が続けて出るようになってしまったのです。ですから、それ以来は、「発作が続く⇒激しい運動を控える⇒症状が落ち着く⇒また我慢できなくて激しい運動をする」の繰り返しです。

 

■ネットで調べてみた■

 それから20年近くが経ちました。「20年」というと、他の産業分野でもそうですが、医療の分野でも劇的な技術の進歩が起きています。今までは手術ができなかったものが手術ができるようになったり、治療は困難と言われていた症状が、新薬の開発で劇的に改善されているようです。

 私の病気も、薬でしか症状が抑えられなかったものが、手術をして根治する技術が確立していました。それが「カテーテル・アブレーション」です。

 心臓の鼓動と言うのは、心臓内にある回路に電気的な信号が伝わって行われているのですが、この発作性上室性頻拍症の場合、生まれながらにして余計な回路が備わっています。そこに、電気信号が伝わってしまうと、発作と言う形で突然脈拍が速くなります。「その余計な回路を焼き切きる 」のが 「カテーテル・アブレーション術」になります。

 幸いなことにネットを使えば色々な情報が入ってきます。医療関係のサイトには「非常に安全性の高い手術で、成功率は90%前後」などという文章も見受けられます。また、実際に手術を受けた人のブログなども読むことができる時代になりました。

 中には「手術をしたが、また発作が起きてしまった」などの失敗例も見受けられますが、「手術をして制限することなく身体を動かせるようになりました。良かったです!」というような体験例が多いような気がしました。

 「安全性が高い」「手術して良かったです!」などの文章を見てしまうと、「これはやってみる価値があるのかな」となるのが人間の心理と言うものです。「まあ、仮に成功しなくて、元の症状が出てもともとくらいで考えればいいか」などと考えれば気が楽になります。

 体にメスを入れるわけでもないようですし、入院も3、4日で済みそうです。「とにかく一度診察をしてもらおう」とネットで手術例の多い都内の大学病院を探し、受診したのが2009年の12月です。

 私の気持ちとしては「今度こそは手術をして完治させ、思いっきり身体を動かしてやる!」という気持ちで先生の前に置かれた丸い座イスに腰を下ろしたつもりです。

 ここでも一応心電図は取りましたが、発作が起きてはいませんでしたので、波形は正常なものでした。今までの経緯を話し、手術を受けたい旨を伝えました。

  私:「手術を受けたいと思っています。」

 先生:「分かりました。手術が希望ですね。ただ、今日仮に申し込んでいただいたとしても、3ヶ月後くらい

     の入院、手術になります。」

  私:「分かりました。」

 先生:「手術は非常に安全性の高いものですが、100%とは断言できませんので、一応、万が一の場合のこと

     もお話ししておきますね。」

  私:「はい、お願いします。」 

 先生:「カテーテルを足の付け根から入れて、心臓の右心房まで通します。そこにある余計な回路を熱で焼

     ききるものです。」

  私:「はい。」(この辺までは情報を収集して把握済み) 

 先生:「それで、可能性としては非常に少ないのですが、以下のようなこともあり得ます。」

     @ 余計な回路が正常な回路に近い場合、正常な回路を焼き切ってしまう場合もあり得る。

       そのような場合はペースメーカーを付けます。

     A カテーテルは血管の中を進めるように非常に細いのですが、血管も一直線ではありませんので

       途中のカーブのときに血管を傷つけてしまい出血させてしまうこともある。

       そのような場合は…。(ちょっとどのような対処なのか記憶が定かではありません)

     B 心臓内にも血管がたくさんあるのですが、万が一カテーテルで傷を付けて出血してさせてしまう

      と、その血が心臓とその外側にある膜にたまってしまうことがある。

      そのような場合は、開胸手術をして出血をした血を取り除きます。

 私:「は〜っ」

 この時点で、「今度こそは手術をして完治させ、思いっきり身体を動かしてやる!」という気持ちは雲散霧消、跡形もなく消え去ってしまいました。

 先生:「どうしますか。今日、申し込んでいきますか?」

  私:「あ〜、いや。もう一度、自宅で検討してみたいと思います。」

 と、すっかり「根性無男」になった私は、ため息をつきながら家路に向かいました。

 

■決めちゃいました!■

 激しい有酸素運動を続けなければそう頻繁には激しい発作は起きませんので、今までと同じように、自分なりに調節をしながら運動の方は行っていました。

 しかし、今年(2011)の1月からボクシングジムに通いだし、状況が少し変わってきました。自分で、縄跳びをしたり、シャドウボクシングやサンドバックをたたいている分には良いのですが、ミット打ちや相手を前にしてのエアーボクシング(距離を取って実際には当てない)ではかなり心拍数が上がります。160前後は上がっていると思います。続ける時間は3分で、2ラウンドを1回か、少し休憩を取って2回くらいなのですが、まだまだ初心者の私にはかなりハードな運動量です。やはりそれが原因だと思いますが、また例のように激しい発作が出るようになってしまったのです。

 もう一つの会員になっているフィットネスクラブであれば、自分で自由にペース落としたり休んだりすることができるのですが、ボクシングジムでは少し勝手が異なります。もちろん、「辛い」旨を伝えれば、プロを目指しているわけではありませんので、そこを無理やりやらされるようなことはないと思いますが…。

 可能な限りジムの方は続けていきたかったので、「薬で発作を抑えよう!」ということになり、再び20程前に受診した公立病院に向かいました。

 病院の方もリニューアルし、かなり設備の整ったものになっています。院内にはレストランやコンビニが入っていて、かなり便利になっていました。

 予約がメインとなっているようで、かなり待つ旨を告げられました。その上、紹介状も持っていなかったので(前の受診の記録は残っていない様子)「診療費に3,000円が加算されます」とのこと。3,000は痛いですが、これも新しく始めたボクシングのためです。患者さんでごった返している待合室のソファに腰を下ろし、診察の番を待ちました。

 「○○さん、診察室にお入りください!」と呼ばれ、「ふーっ、やっとか」と診察室に入って行った次第です。

(事前の問診表に病名は記述している)

 先生:「いつからの症状ですか」

  私:「もう小学生のころからなんです。」

 先生:「どのようなときに発作は起きますか?」

  私:「えーと、特にどんなときにというのはないです。まあ、運動をしていても起きますし、安静にしてい

     ても起きるときは起きます。身体を動かすのは好きでジムに行っているのですが、特に激しい有酸素

     運動を続けて行うと、顕著ですね。で、最近、ボクシングを始め、その影響で激しく出ています。

     ボクシングは続けたいので、何とか薬で抑えられるかなと思って今日は来ました。」

 先生:「根治させることもできるのですよ。」

  私:「ええ、ちょっとネットで調べて知っています。カテーテルですよね?!」

 先生:「そう、カテーテルアブレーションと言って、余計な回路を焼き切ってしまうのです。」

  私:「そうみたいですね。ここでも行っているのですか?」

 先生:「ええ、月に1回、○○大学病院の先生が来てくれて行っています。」

  私:「そうなんですか?」

 先生:「今度の金曜日がその日なのです。どうしますか?」

  私:「いや〜、今日は一応、薬だけをもらおうと思って…」

 先生:「ベテランの先生で、毎日オペをしているんですよ。」

  私:「は〜、ベテランですか…」

 先生:「まだ、今度の金曜日は余裕があるので入れられますよ。」

  私:「は〜、じゃあ、お願いします」

 と、こんな感じでとんとん拍子で話は決まってしまったのです。もし先生の方で、「ベテランの先生で、毎日のようにオペを行っています。でも万が一ということもありますので、説明しておきます。」という話し方であれば、「今回は薬だけで様子を見ます。」ということになっていたと思います。

 全く、お調子者とでも言ったらよいのでしょうか、私は…。でも、こういうのって、ちょっとしたタイミングなんですよね。

 おととしの12月に都内の大学病院行き、説明を聞いていてからさほど月日が経っているわけではありませんので、技術的な進歩と言うのはそれほど高くなっているようには思われません。ですから、「万が一」は、「万が一」として依然その可能性はあるはずなのですが、「なるようになれ!」という感じで決心しちゃいました。

 

■3泊4日入院・手術■

 手術はその週の金曜日、前日の木曜日の午前中には入院の手続きをしました。その日は、午後に心臓のエコーを撮りましたが、後は特にやることもなく、本を読んだりしてゆっくり過ごしました。食事も、量、質ともに特に不満なところはなくおいしく頂きました。

 手術当日ですが、朝食は出ましたが、一応、夕方くらいの予定なので昼食は出ませんでした。その代わりというわけではないのでしょうけど、12時くらいには点滴を打たれました。

 時間の方は定かではないのですが、「まだかな〜」などと思っていると、「時間です!」と看護師さんが呼びにくれたので、彼女と一緒に階下の手術室へ向かいました。手術室の前のソファに腰を下ろし待っていると、私よりも前に手術を終えた人がストレッチャーで手術室を出ていきました。

 そして、「○○さん、中に入ってください」と手術室の扉が開き、特に緊張をすることもなく手術台の上に仰向けになった次第です。

 まず気付いたのが、とにかく狭いことと、そしてこれが硬いのです。「腰が痛くならないかな?」と心配していると、担当の看護師(女性)さんが「アルコールで消毒しますね」という声とともに下半身があらわになります。

 このとき、下半身ですが、スッポンポンではなく、「T字帯」というふんどしみたいなものを身に着けて大切な部分は一応隠してはいたのです。しかし、病室から歩いて移動してきたためか、少し緩んでいるようでちょっと不安な感じはありました。

 カテーテルを挿入する左足の付け根を中心に消毒が終わると、執刀医(女医)が「カテーテルを通すところに麻酔の注射をしますので、ちょっとチクッとします。」と麻酔の注射を始めると、私が生まれたときから付きあっている相棒が「よろしくお願いします!」と言う感じで、ポロッとT字帯を抜け出してご挨拶をしてしまったようなのです。

 「いかん!」と思っていると、その女医の先生が、「挨拶はけっこうですので…」とちょっと無碍な感じで元の場所に戻してくれました。

 私も十分に中年の域に入ってはいますが、「もうそんなこと全く気にならないもんね〜」というほど、何と言ったらよいのでしょうか、「酸いも甘いも噛み分けてきた」とでも言ったらよいのでしょうか、それとも「鈍感なジジイになった」または「羞恥心無男になった」と言ったらよいのか分かりませんが、まだまだ私にも「恥ずかしい〜!」というところも残っていたりするわけです。でも、「手術だし、しょうがないよな!私の相棒への教育が悪いわけではい」と自分に言い聞かせ、気持ちを落ち着かせる次第です。

 麻酔の注射は我慢できないほどではないですが、チクチクとやはり痛いです。針が刺さるたびに身体を緊張させなければなりません。でもそれが済み麻酔が効いてくれば、カテーテルの挿入に関してはほとんど痛みを感じませんでした。カテーテルは3本から4本ほど挿入されたのではないかと思います。

 カテーテルが血管内を移動する感覚は全く分かりません。最終目的である、心臓の右心房にたどり着いた時も一緒で、その感覚は全く分かりません。

 さて、カテーテルが心臓内に入ってから最初に行うのは、電気信号を流して自動的に発作を起こさせることです。

 手術室の中には執刀医とその補助の医師、そして看護婦さんが2人、そのほかに2、3人の医師と言うよりは技師のような人達。そして、大きな窓ガラスでこちらの様子が分かる隣室にも数人がいるようです。

 執刀医:「これから自動的に発作を起こさせますから。」

   私:「はい」

 執刀医:「じゃあ、みんな、始めま〜す。まずは220から20ずつ下げていって!」

 などと言ったかと思うと、すぐに発作が起き心拍数が上がりました。

 執刀医:「おっ、これ違うか!」

 執刀医は私に

 執刀医:「いつも、こんな感じで発作が起きるんでしょう!?」

   私:「そうです。」

 執刀医:「よし、OK。じゃあ、今度は160から20ずつ下げて」

 と言ったかと思うと、一度おさまった発作が再び起きます。このようなことを何回か行いました。何か、私の心臓がもてあそばれているような気になってきました。

 執刀医:「よ〜し、分かった。じゃあ、アブレーションに入ろう!」

 私に向かって、

   私:「じゃあ、余計な回路を焼き切りますから。深呼吸をしないでくださいね。横隔膜が動いて心臓を

      動かしてしまうといけないですから。5oでも違ったら正常な回路を焼き切ってしまうことになり

      ますからね…」

   私:「はい、分かりました。」 

 それまで私は、ヨガのレッスンを受ける時のように、鼻呼吸で深く大きく呼吸をしていて「おお、普段のヨガのレッスンが役に立っているな!」とちょっと悦に入っていたのですが、今度は一転して、なるべく胸を膨らませない細かい呼吸に変えました。

 執刀医:「じゃあ、行きま〜す。まずは60℃で20秒。次に70℃で20秒。…」

 以上のように手術は進んで行きました。アブレーションが終わると、最初の人工的に発作を起こしたのと同じ条件でもう一度、電気信号を流してみたのですが、今度は一度も心拍数は上がりませんでした。

   私:「はい、OK、終了!」

 という先生の大きな声が手術室に響き、私に向かって、

 執刀医:「終了しましたよ。上手くいきましたから!」

   私:「はい、ありがとうございます。」 

 執刀医:「じゃあ、カテーテルを抜きますから…。」

   私:「はい」

 執刀医:「あれ?ちょっと出血しているな。」

 私に向かって

 執刀医:「どうも、カテーテルを入れる穴をあけたときに、下の動脈を少し傷つけたようです。まあ、大した

      出血ではないので、少し圧迫して止血しましょう」

   私:「はあ」

 ということで、5分ほどカテーテルの挿入部を圧迫して止血することになりました。

 執刀医:「念のために傷口にガーゼを当て、テープで止めて、その上に砂袋を乗せます。砂袋は、夜の10時く

     らいには取ることができますが、これまではしっかりと傷口を押さえるのに必要なので、安静にして

     くださいね。」

   私:「はい」

 というように手術は無事に終了しました。カテーテルを入れた右足の付け根の痛みはそれほど気にならなかったのですが、一番つらかったのは腰の痛みです。

 もともと腰痛持ちで、同じ姿勢を取ることが大の苦手なのです。手術中は全く身体を動かすことができなかったので、始まってから10分もすると辛くて仕方がありませんでした。手術に要した時間は1時間弱ですから、それほど長いものでもなかったのでしょうが、それでも耐えがたいものでした。

 幸いなことに、私の場合は、人工的な発作がすぐに出たので早く済んだのですが、長い人だと3時間ほどかかる場合もあるそうです。3時間というと、これはもう腰痛持ちの私には地獄です。

 術後、ストレッチャーのまま病室に戻り、ベッドに移されました。「明日の朝までは、寝返りをうったり、足を曲げたりしないでくださいね!トイレのときは呼んでください。一応、尿瓶はここに置いておきますので…」

 ここで始めて「安静」の意味を理解した次第です。最初は「飛んだり跳ねたりしてはいけない」というくらいに軽く考えていたのですが、まったくベッドから立ち上がることができないなどとは想像もしていませんでした。ましてや、足も曲げることができないなんて…。

 「しかし、ベッドの上でウン○ができるのかな〜?」という一抹の不安はありましたが、翌日、「もう、歩いても構いません!」と許可をもらうまでは、尿瓶とうにはお世話にならずに済みました。

 途中で看護師さんに何回となく「まだオシッコ出ないですか?」と不安そうに声をかけられました。特に我慢をしていたわけでもなかったのですが、やっぱりトイレでするのが一番です。

 退院は2日後の日曜日です。出血した右足の付け根に当てていた、ガーゼを固定するために両脇腹の方から回したテープを剥がすと、左脇は見事に水ぶくれになっていました。そして、右側は、水ぶくれではないにしてもテープの形に赤くなっています。

 この固定に使ったテープはかなり強力で、動いたりしてしまうと皮膚の層が分離して水泡ができてしまうことがよくあるとのことです。「けっこう寝返りを打ったり、足なども曲げていたからな〜」とちょっと後悔しながら、「絆創膏を張っておきますから」という先生の言葉にうなずいて返事をした次第です。

 そして、3月の上旬に受診の予約を入れ退院することとなりました。

 

 

 

■術後■

 特に運動制限などはありませんでしたので、術後だからと言って特に様子を見ることなく運動は行っていました。

 1週間ほど経ってのことです。普通に道を歩いていると、「ドッ、ドッ、ドッ」と3、4回ほど心臓の鼓動が速くなったのです。「また、出たか!」と思っているとすぐに治まってしまいました。時間にしたら1秒あったかどうかです。

 今までは、どんなに短い時でも数秒は続いていたので、このような短い発作は始めてです。「再発もあり得る」と言うことは覚悟していたので、もうこればかりはなるようになるしかないと思っていました。

 それから4、5日は何でもありませんでしたが、今度は筋トレ中に発作が起き、20秒ほど続きました。手術前の発作は、脈拍が速くなっただけで鼓動のリズムは一定でしたが、今度は「ドン、ドン、…、ドッド」のような感じで不整脈とでも言ったらよいのでしょうか、リズムが一定ではありません。

 まだ、術後1カ月は経過していませんが、術後の発作は何回か起きています。長く続くときで、数分と言う場合も1、2回あったように記憶していますが、ほとんどはだいたい1分以内には治まっています。残念ながら「根治」とは行かなかったみたいですが、以前に比べれば楽にはなっていますので、とりあえず今回の手術がプラスの方向には向いていると思います。

 これからも発作の出方は変わっていく可能性もあるでしょうから、今しばらくは様子を見ていくしかありません。

 

備考