日記 - 1月

 

1月12日(日) 「超整理術(その1)」

 

 最近は新聞などの広告であまり目にしないが、一時期、「整理術」とか「収納術」など、整理整頓に関する書籍が話題になった。「どうせオレには無理だろう」と、購入することはなかったが「身の回りのものがきっちりと整理整頓できたらいいだろうな〜」とは常々思っていた。

 私は、「整理整頓」とは無縁の生活を送っている。ただ、整理整頓が苦手だからと言って、身の回りが「ゴミ置き場」化しているわけではない。一応、足の踏み場は確保できているし、どこからともなく異臭が発生しているような状況でもない。

 「お客さんが来るから片付けて!」という号令が出されれば、まあ、さほど広い部屋でもないので、15分もあれば簡単に掃除機をかけ、デスクの周りに散らかっているものを適当に空いている棚などに押し込めば、それなりにきれいにはなる。仮に、普段そのような状態が保たれていたとしても、けっしてそれは「整理整頓」されているとは言い難い。「整理整頓」とは、見た目だけではなくその中身がとても大切なのだ。

 「必要なものがどこを探しても見つからない」などと言う経験は、誰しも1回や2回はあると思うのだが、しっかりと「整理整頓」された状況であれば、探すのに多少時間がかかったとしても、「見つからない」などと言うことはないはずだ。滅多に使用しないものでも、必要な時にしっかりとそれが収納された場所が分かるのが「超整理術」である。

 もちろん、それは何も「もの」だけとは限らない。「情報」や「知識」もそうだ。たとえば「ノート」の書き方なども、得た情報を、単純に得た順番に書き留めていくよりは、カテゴリー別に分けていけば、あとで「あれ何だっけ?」と探すときにも、より時間をかけずに見つけることができる。

 そのことは分かってはいるのだが、「でもな〜」と思ってしまうわけである。しっかりと整理整頓できるかどうかは、その人の持つ性格がかなり影響しているような気がする。先天的に「どうしても片付けられない性格」で生まれてしまったというケースもあるだろうし、生まれ育った環境の中で整理整頓の性格が身に着くケースももちろんあると思う。私も、ときどきは「よしっ、少し整理整頓するぞ!」と、家のあっちこっちに散らばっているものをまとめてみたりするのだが、まあ、長くは続かず、任務が完了することはない。