携帯電話でも動画が簡単に取れるようになり、また、コンパクトカメラあたりも各個人が所有できるほど価格も下がって広く普及しているので、震災に関する映像はいろいろなものが撮られて、各テレビ局のニュース番組などでも繰り返し流された。また、YouTubeなどの投稿動画サイトへも数々の動画が投稿され、好きな時に見ることができるようになっている。
我が国では、これまでに何回か大きな津波によって被害を受けているが、記録としては、そのほとんどは文字であったり、時としては言い伝えだったりする。1993年に起きた「北海道南西沖地震」でも津波や火災などで200名以上の人がなくなっているが、発生したのが夜の10時ということもあり津波の映像は残されていない。よって、今回の膨大な映像の数々が津波の恐ろしさを後世に伝えてくれるに違いない。
さて、震災後、被災地には全国各地、いや全世界から多くの支援が届けられた。多くのボランティアが集まり被災した人の助けとなるためにいろいろな活動をした。その年の漢字として「絆」が選ばれ、「がんばろう、東北!」などの言葉もテレビのコマーシャルやTシャツなどで目にする機会も非常に多かった。被災地を中心に日本が一つになろうとしたのである。
しかし、「痛み分け」となると状況は一変した。被災地から出るがれきの処理を受け入れてくれる自治体が極端に少なかったのである。「ガンバレ!」「つながろう!」と言っていたものが、いざ自分のところにがれきがくるとなると必死になって抵抗した。がれきから発する放射線の安全性が確保されていても「そんなのは信じられない!」と訴えた。中には「絶対反対です。許しません!」と涙を流しながら反対している人たちの映像をニュースで見て違和感を抱かざるを得なかった。
その点、決して私は支持はしていなかったが、当時の都知事の石原慎太郎は「何を言っているんだ!」と、そういう人たちの声を一蹴しがれきの受け入れを決めたのである。彼の持っているエネルギーがプラスに向かう時はなかなか立派な人物である。
■ 昨日の体重 ■
昨日は意識が遠のくことはなかったのだが、ちょっと増えちゃった。もう今のやり方では限界が来ているのかもしれない。まあ、もうちょっと様子を見てみよう。