結局、「熱いお湯をもう一度入れ直してくれ!」というのが3回続いた。さすがに3回目にベッドの脇のテーブルにお湯を入れ直して置いたときは「これ以上は勘弁してくれ!」と、私もベッドに腰かけショウガ湯を入れるのを手伝った。
まだ開封していない「生しぼり・しょうが湯」に、おぼつかない手つきでカッターを使って切れ目を入れようとしたので、私がハサミで切ってあげて「ほらっ」と手渡した。あとは、そのまま単体で飲んでもよいし、または自分の好きにブレンドするだけである。
いつものようにブレンドしようとティーセットが収まっている缶の中にある粉末ショウガの容器フタを開けたので、「今回は粉末ショウガとブレンドするんだな」と見ていると。開けた容器を再び閉めようとフタを容器の上に置いている。「んっ、違うのか?」と見ていると、今度は粉末の緑茶の容器に手を伸ばし始めた。「緑茶にするのか?」と思っていると、伸ばした手を引っ込めたので、「何をするつもりなのだろう?」と見ていると、「あれ〜、何をするんだっけ?」と言い出す始末である。自分で何をしたらよいのか分からなくなってしまったみたいだ。
その様子を見ていて「ついに父親も痴呆になってしまったのか!?」と思わざるを得なかった。つい先日までおかしな言動をするようなところは一切見せなかったのでショックであった。でも、よくよく考えてみると、あれほど好きだった大相撲なども、家族が「ほらっ、始まっているよ!」と声を掛けない限りは見なくなったし、「よく理解はできないが、読んでいる面白い!」と言っていた科学雑誌の「ニュートン」も、去年の暮れ辺りには「もう読みたくない!」と言い出したので、そのあたりから少し始まっていたのかもしれない。
そのことを隔週で来ている訪問看護師さんに告げると「心臓の働きも悪いし、赤血球のヘモグロビン値も通常の半分しかないので、脳にうまく酸素が行き届いていないためではないか」との答えであった。また、訪問診療の先生からも「心臓の働きを表す数値もかなり悪いし、血流量も少なくなっているので、それが原因でなくなる可能性もかなりある。だから、最後をどこで看取るかも少し考えておいた方が良いのかもしれない。」と言われた。
息苦しさはあるようだが、がんの末期で痛みを訴える姿を見ないだけ幸いなのかもしれない。家族としては、痛みで苦しまない限りは、なるべく住み慣れたところで最期を迎えさせたいと考えているわけである。
■ 昨日の体重 ■
微増といったところ。とりあえず今回のダイエットの記録はこれで終了とする。少し戻すのは仕方がないだろう。