日記 - 6月

 

6月7日(土) 「最後のポケット(完)」

 

 今回の父の時もそうである。死ぬ前の24時間は昏睡状態となり、私は「どうみてもこのまま目覚めることはないだろう」と思っていた。事実、呼吸も非常に弱く、幾度となく「ついに止まってしまったのかな?」と思えるような場面もあった。それが、死ぬ日の朝には目を覚まし「おーい、おーい」と呼んだのである。

 前の日記との重複となるが、私は父が寝ているベッドに行き「何?どうしたの?」といっても、片手を少し持ち上げて何か言いたげなのだが、もうしっかりとした意思表示をすることはできない。こういうときはトイレの場合がほとんどなので、トイレに連れて行くと「う〜う〜」とうなりながら絞り出すようにして少しばかりの排尿をした。

 そして、落ち着いたところでベッドに戻し、「喉も渇いているのでは」と思い、口にわずかばかりの水を含んであげたのだが、飲み込むにもかなり難儀をしていた。再びベッドに横になると、すぐにもとの昏睡状態となり。昼には息を引き取ったのである。

 その時には特別感じなかったのだが、後日改めて今回の父親の状況を考えたときに祖母のことを思い出さずにはいられなかった。私は、人間には「最後のポケット」が誰にでもあるような気がする。そこには、最後の最後に、つまりこの世を旅立つ前に使うエネルギーが入っているのである。祖母も父もそのポケットにあるエネルギーを使って、旅立つ前のあいさつをしたのだと思っている。

 ただ、残念ながらだれもがそうできるわけではない。そのポケットに穴があいてれば、エネルギーは蓄えられていないことになる。幸いなことに、祖母も父もそのポケットはしっかりしていたのだと思っている。

 さて、私の場合はどうだろうか?まあ、いつのことだかは分からないが、「レッスン1本分くらいのエネルギーは蓄えておきたい」などと思っている今日この頃である。

 

■ 昨日から土砂降りだ。久し振りに金魚の水槽に雨水を入れたので、少しは居心地が良くなったのではないかと思っているのだが…。