私の思い違いでなければ、自転車にもおそらく自動車と同様、車体番号なるものがあると思うので「防犯登録がされていればシールが張っていなくてももしかしたら持ち主が判明するのかな?」という気がしないでもないが、その辺はちょっと詳細は不明である。
このようなようなことを書いてきたのも、全て私の「もったいないスピリット」または「プアーズ・ライフ」に起因するのだろうが、こればかりは死ぬまで治らないだろう。しかし、もうしばらく前のことになると思うが、自転車も1万円以内で日常生活で乗るには十分なものが販売されるようになり、「高かったので大切に乗っていこう」というものではなくなっている。
もちろん「使い捨て」では決してないのだが、1万円以内なら、数年に1度盗まれたとしても「また買えばいいか」くらい手軽に手に入るものになってきているのかもしれない。事実、市の方で、駐輪禁止の場所から集められて保管場所に保管されている自転車を取りに来ない人も多いと聞いている。取りに行かない理由も人それぞれなのだろうが、高価なものであればそのようなことも決してないはずだ。
さて、私の場合、自転車のことはこの日記でも何回か記しているが、愛車はママチャリである。いつ購入したのか思い出せないほど長く乗っている。自転車屋にタイヤ交換のために持っていくたびに「この自転車は丈夫なので…」と言われるくらいである。まあ、ベアリングなどの摩耗も多少あり、ガタはところどころに少なからず見られるがまだまだ「現役」を続けられそうだ。
よって、仮に放置されている愛車よりもずっと新しい自転車が手に入ったとしても私には必要ないわけである。保管する場所にも困ってしまう。まあ、それをヤフオクあたりに出品するとなれば、また別の話になるのだろうが…。
安くモノが手に入るのは良いことに違いないのだが、どうしても「大切にしよう」という気持ちは薄れて行ってしまう。ときどき、良いことなのかそうでないのか分からなくなってしまうことがある。まあ、どうでもいい話?なのだろうが…。