玄関のドアを開けてみると40〜45歳くらいの男性が立っていた。
男性:「あっ、どうも。新聞屋です!」
私:「新聞屋さん?」
男性:「そうです。いつもお世話になっています。」
私:「はあ…。えっ、新聞って、Aですか?」
男性:「いえいえ、うちはSKです。どうもお世話になります。」
私:「SKって、うちはずっとAですよ。」
男性:「どうもどうも、ありがとうございます。じゃあ、これを…」
男性の片手には商品券の束が握られていて、その束から「1,2,3…」と数えて10枚ほど取り出して私に差し出したのである。
私:「要りません!」
男性:「いえいえ、全然気にしなくていいんですよ。はい、どうぞ。」
私:「だから、要りませんって…」
男性:「Aの方が終わってからで構わないんですよ。使ってください!」
私:「いや、うちはこれからもずっとAですから」
男性:「たまにはいいじゃないですか?!」
私:「いや、Aが好きなので…」
私の最後に台詞でその男性は諦めて帰っていってしまった。「まったく調子のいいヤツだ!」という感じの男であった。まあ、あのくらいの感じでないと新聞の勧誘などという仕事は務まらないのだろう。ただ、最後の台詞の「Aが好きなので」というのは私の気持ちを正確に(correctly)表しているわけではない。
去年、従軍慰安婦に関する訂正の記事が掲載されたとき、さすがのおバカな私も「全く謝罪がないではないか!」と少し憤慨し、昨今の自民党の議員の発言ではないが「これは、ちょっと懲らしめるには新聞を変えるしかないな」と思ったくらいである。
「しかしな〜、変えるといってもYは勧誘で散々嫌な思いをしているので選択肢(choices)にはないし、そうなるとMくらいか…」とも思ったが、よくよく考えてみると購読料(subscription)は私が払っているわけではない。そこで、購読料を支払っている人に聞いてみると、「別に今まででいいんじゃない」との返事であった。本人は、従軍慰安婦の記事などには全く興味がない様子である。
よって、こればかりは「読ませてもらっている」立場にある私がどうのこうの言うことではできず、これからもしばらくAとの付き合いは続きそうである。(まだ読んではいないのだが、今日あたりも従軍慰安婦に関する記事が掲載されている)「今度、何回もチャイムが鳴ったら居留守を使おうかな」と思っている今日この頃である。