プロフィール

「年だから」こそ鍛えるのである。

 

 1年ほど前から市内にある温泉施設に月3回くらいのペースで通っている。自転車で10分ちょっとの距離で、行くとだいたい1時間半から2時間くらいかけて露天風呂をはじめとして数種類あるお風呂につかったり、サウナに入ったりしてゆっくりしている。
 他人の裸の姿を見るのは、会員になっているフィットネスクラブかこの温泉施設くらいなのだが、比べてみると、どうやら事情は異なるようだ。
 フィットネスクラブの方は、まあ、中にはお風呂やサウナを目的に来ている人もいるみたいだが、多くの人は体を動かすことを目的に来ている。
 よって、メタボ気味でお腹が出ていても、体を動かそうという前向きな気持ちがあるので元気な人が多いが、温泉施設の場合はそういうわけにはいかない。
  露天風呂に入り、空を見上げながらボーっとリラックスするのだが、そう長いことは続けられないので、飽きてくると「マンウォッチング」が始まる。
 「ウォッチング」といっても決してキョロキョロするのではなく、前を通り過ぎる人の体形を観察し、いろいろと想像するのである。
 「ビルダー系の体だな。かなり重い負荷をかけてトレーニングしているのだろうな。」「上半身も鍛えているが、下半身の方がより発達していて、そのお尻の出具合はアメフト系かな?」「かなり体脂肪も多そうだけど筋肉もその下にしっかりついているので、昔はガンガンにトレーニングしていたのだろうな。」「うわ〜、腹筋がボコボコだよ。でも、手足にはさほど筋肉がついていないので、体質的に脂肪がつかないタイプなんだろうな。うらやましい。」などと好き勝手に想像力を働かせているのだが、だいたい体つきを見ればその人が運動しているかどうかは判断がつくものである。
 もちろん、実際に「あなたは運動をしていますか?」などと聞いて確かめているわけではないので、どのくらいの割合で的中しているのかは分からないが、おおよその見当はつくと思っている。
 中には、職業的に体を動かして筋肉が発達している場合もあるが、仕事上でつけた筋肉は、体全体というよりは前腕の筋肉群や広背筋といった一部の筋肉が他に比べて発達することが多いので、スポーツでつけた筋肉と仕事上ついた筋肉は異なる。
 さて、問題なのは明らかに体を動かしていないと思われる人たちである。こちらも聞いて確かめているわけではないが、だいたいその体形や動きから判断がつく。
 やはり、フィットネスクラブと比べるとお腹が出ている人が多いのが目立つ。ただ、この「お腹」に関しては、ある程度の年齢以上になると男性の場合は内臓脂肪、女性の場合は皮下脂肪がたまりやすくなるので、定期的に体を動かしていても、若い時のような全く無駄のない引き締まったままを維持するのは非常に難しい。
 フィットネスクラブに来ている人たちも例外ではなく、服を着ているとさほど目立たないのだが、裸になっているところを見かけたりした時に「ちょっとそのお腹ヤバイかも」などという人も多い。まあ、本人たちもその「お腹」を何とかしようと会員になったのだろうけど…。
 そして、ガンガンに鍛えていて、腕は太く、肩幅もあり、胸板も厚いボディビルダー系の人でも、結構お腹が出ていたりするのである。
 かく言う私も例外ではなく、今のところ全体的には出ていないが、下腹部が最近気になり、もうちょっと何とかしたいと常日頃から思っている次第。
 そして、私が行く温泉施設に至っては状況はもっとひどくなる。「全体ボッコリ型」「下腹部ポッコリ型」といろいろだが、どちらかというと「全体ボッコリ型」の方が多いような気がする。
 「全体ボッコリ型」でも足や手は細いのだが腹部が全体的に出ている場合もあれば、腹部だけでなく足や手など全体的に脂肪がついて、いわゆ「恰幅がいい」言われるような人もいるので、その体形は一様ではない。
 腹部だけでなく全体的に脂肪がついている人でも、30代、40代であればまだ下半身の筋力も残っているので、見ていて「足取りがおぼつかない」という人はめったにいないが、60を過ぎると日常生活において体を動かす頻度も少なくなってくるのか、下半身の筋肉が少しずつ衰え始め、70代になってくると状況は一変する。
 お腹周りに比べ、手足がかなり細いのである。特に下半身は体を支えているので、足の細さが目立ち、その動きにはどうしても「おぼつかなさ」が伴う。
 湯船につかるときも手すりにつかまって「よいしょ!」という感じで入ってくる。もちろん本人に言わせれば「もう年だから」となるのであろうが、本当に「年だから」と諦めてしまってよいのであろうか?
  本人が「別にそれで構わない」ということであれば、自分の体は自分で管理するものなので他人の私がそれに対して「間違っている」などと言うべきものではなく、それでよいのである。
 ただ、年を取れば取るほどますます体の自由が利かなくなってくるのは目に見えている。
 今はまだ温泉施設にくるくらいの体力が残っているのであろうが、歩く力が弱くなってくれば外出することすら辛くなってくるはずである。
 日本人の平均寿命は確実に伸びていて、2007年度の女性の平均寿命は85.99歳で、23年連続で世界一、男性は79.19歳で、アイスランド、香港に次いで世界3位となっている。
 あと何年生きられるかなんて誰にも分らないのだけれど、仮に70歳で「もう年だから」と何もしないで老いるにまかせて平均的に生きたとしたら、10年間はますます体の自由が利かなくなるのを我慢して生きていかなければならないことになる。
 不自由さの度合いも増していき、日常生活に必要な動作がこなせなくなってくることだって当然考えられる。それでも本当に「仕方がない」と諦められるのであろうか?
 ほとんどの人は、「健康になれるのであればなりたいがあきらめるしかない」というのが本音ではないかと思っている。老若男女問わず、健康になれるのであれば誰だってなりたいと思っているはずである。「別に健康的でなくても…。」と思う人などいない。
 ただ「健康になる」には残念ながら、ある程度の年齢以上になるとじっとしていてはなれない。そのためには努力が必要で、それが運動であったり、食事であったりするわけだ。
 「努力しなければいけないのであれば、別に健康である必要は…。」と思うのも本人の自由で、その人の生き方であり、他人にとやかく言われる筋合いもないであろう。
 また、個人差も非常に大きいので、何も特別なことをやっていなくても健康で長生きしている人もいるであろうし、運動、食事とかなり気を使ってきたのに病気を患ったり、長生きできないケースだって当然ある。
 しかし、相対的には努力している人とそうでない人の差は必ず現れ、特に70代、80代になるとその差は歴然とする。
私は「もう年だから」などとは考えず、とことん「老い」には抵抗していくつもりである。最後の最後まで自分の体は自分で支えていき、「自分のケツを他人に拭かせてたまるか!」くらいのつもりでいる。死ぬまで付き合っていかなければならないのは自分の体以外の何ものでもない。
 それが目的で、日々体を動かし、いくつまで生きられるかは分からないが、70歳、80歳になったときのことを見据えて頑張っている。そのために40代を過ごしてきたし、50代、60代もそのつもりで体は動かし続けていくつもりである。
  年を取って自分の自由になる時間が取れるようになっても体が言うことをきかなくて、やりたいことができないなんて非常につまらない。そんな生活は送りたくないと考えている。
 年を取って特に必要なのは「筋力」である。筋肉が弱れば、体が思うように動かせなくなってくる。そうなると内臓にも影響を及ぼし、内臓の調子が悪くなればますます体が動かせなくなるという悪循環に陥ってくる。
 ゆえに、「筋力」は年配の人の生活の質(QOL)に大きく影響を及ぼす。そして、幸いなことに、筋力をつけるのに「もう遅い」ということはない。70歳、80歳になってからでもアップさせることができ、QOLを向上させることは可能なはずだ。
 ただ、個人的にはその「筋力」にプラスαが必要だと思っている。
 敏捷性は、何かものが倒れてきたときに避けるのに必要だろうし、バランスを取る力があれば転ぶ回数も減るかもしれない。そして、万が一転んでも柔軟性があれば怪我をしなくても済むかもしれない、などと考えたりしている。
 そのために、筋力に固執することなく、バランス力、柔軟性、心肺持久力と運動に対するエネルギーを1つの方向だけに向けないで、なるべくバランスよく体を動かすように心掛けているつもりである。
 だから、なるべく多くの人に、体を動かすことの大切さを分かってもらいたいと思っている。「年だから」などと自分に言い訳しないで、「年だから」こそ鍛えていただきたいと考えている。
 無理などする必要は全くなく、自分のペースで構わない。他人と比較する必要もない。辛いと感じたら休めばよいのである。「続けよう」という気持ちだけさえ捨てなければ、少しずつかもしれないが前に進んでいくはずである。
 自分の健康を守るのは医者でも薬でもなく自分自身だということに気づき、早く実行に移していただきたいのである。