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トッピクス - 旅に出よう - 国内・自転車旅行

 

 

 

 鹿児島からフェリーで奄美大島に渡った。実は奄美大島は父親の生まれた地である。私の祖父母自体が2人とも奄美大島で生まれ育っているが、私の父親が8歳の時に大阪に移住し、そして東京に移ってきている。

 私の祖父母は男2人、女3人の計5人の子供を育てた。私の父親は二男に当たるが、長男は戦死している。女3人のうち長女は大阪で結婚をし、それ以来生活はずっと大阪である。(今回の旅でもお世話になっている)

 よって、私にとって父方の「親族」というと、遠くて大阪、そしてその多くは東京であった。祖父の兄弟も東京に移り住んでいる。ただ、祖母の妹がずっと奄美大島に暮らしているので、「父親の生まれ故郷を見てみたい」と言うこともありその人を尋ねてみた。もちろん、今回、奄美大島を訪れるのは初めてで、というよりは鹿児島よりも南の島々には行ったことがないのでちょっと楽しみであった。

 鹿児島の港を夕方に出港したフェリーは翌日、朝早く奄美大島の名瀬の港に着岸した。この後、フェリーはいくつかの島を経由して沖縄に行くようである。フェリーの中で誰かと会話した記憶はないのだが、恐らく奄美大島の人と思われる年配の女性同士の会話を聞いたのだが、何を話しているのかさっぱり分からなかった。理解ができたのは、時折出てくる「〜病院」や地名などの固有名詞のみであった。私には、とても日本語のようには響かず、どちらかというと韓国語に近いような感じがしたのが今でも印象に残っている。

 さて、祖母の妹さんは、名瀬からおよそ40km離れたところにある笠利と言う町に住んでいた。(2006年に名瀬市、住用村、笠利町が併合し「奄美市」となっている)地図を見ると、多少曲がりくねってはいたがほぼ1本道のようなものだった。

 「全く連絡もしていないし、初めて訪問する親戚なので、少なくても昼食は済ませておかないと…」と、名瀬の街を適当にぶらぶらし、笠利に向けてペダルを漕いだ。いつもの半分くらいのスピードでゆっくりと進んだ次第である。

 昼食も道路沿いの食道で済ませ、午後3時くらいには笠利町に入った。だいたい、歓迎してもらえるかどうかも定かでなかったので、「最低限、宿は決めておいてから行かないと…」と近くの民宿に部屋を確保した。もちろん住所の方は旅に出る前に控えていたので、その住所を頼りにお宅に訪ねてみた。

 玄関を開け、「済みませ〜ん」というと、50半ばくらいの女性が出てきたので、「あの〜、私、東京の〜の息子の…で、自転車で旅行中、近くを通ったので寄ってみたのですが…」と言うと、その女性は「ちょっと待ってください!」と言って一度奥に引っ込むと、再び80代くらいの女性と共に現れた。

 「この方が東京の〜さんの息子さんですって」と私のことを紹介してくれると、その年配の女性は「はげ〜、あなたが〜さんの息子さん!」と言って驚いてくれて「まあまあ、遠いところを大変だったね〜」と招き入れてくれた。

 「ぜひ泊まっていきなさい」と言われたが、近くの民宿に宿を取ったことを告げると、最初に対応してくれた女性が「そこであれば良く知っているので、私が一緒に行って断ってあげるから」ということで、結局は2泊もお世話になってしまったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

備考