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トッピクス - 旅に出よう - 国内・自転車旅行

 

 

 

 奄美大島から再びフェリーに乗って沖縄に渡った。約13時間の乗船の旅となる。2等で雑魚寝となるが、時期的に旅行シーズンではないのでゆっくりとするできた。これも船旅のだいご味だ。 

 当時、沖縄の本島にはいくつかのユースホステルがあったはずである。現在では、調べてみると本島には2つのユースホステルがあるようだが、当時、私が利用したものとは全く異なるので、当時のものはなくなっているようだ。

 まず、那覇市内のユースホステルに宿泊したような記憶がある。特に印象に残っているのが、奄美大島ではそのようなことはなかったと思うのだが、ヤモリである。ヤモリなんて、詳しくは分からないのだが、日本中どこにでもいるのかもしれない。事実、私の家にも、何年か前には夏になると、恐らくつがいと思われるものが居間の窓ガラスのところに現れていた。

 窓ガラスにじっとくっつき、獲物の小さな蛾がくるのを待っていた。その蛾が居間から漏れる光に寄せられて窓ガラスに留まると、なるべく音お立てないように忍びより、一気に舌を伸ばして口の中に入れるのである。

 外見的には、それほどわたしの家で見るものとは異なっていなかったが、1つだけ全く違うところがあった。それは、こちらのヤモリは「鳴く」のである。

 その鳴き声は「クッ、クッ、クッ」と言う感じで、個人的にはそれほど不快なものではなかったが、これが結構ユースホステル内に響き渡った。

 沖縄本島にいるときは、那覇市内のユースホステルだけに宿泊したのか、それとも他のユースホステルにも宿泊したのかは定かでないのだが、ユースホステルから近くの断崖の続く海辺はシュノーケリングに行ったことだけはよく覚えている。

 「那覇市内のユースホステルで、そんな近くに断崖の海辺があるだろうか?」と考えると、那覇市内だけではなく別のユースホステルにも宿泊している可能性は大きい。

 そのユースホステルに東京から一人の女の子が泊まりに来た。聞くところによると浪人生のようで、息抜きに来たということである。それを聞いて「おいおい、大丈夫なのか?」と思わずにはいられなかった。

 羽田から飛行機を利用したとのことだが、到着した那覇空港からは声を掛けられたアメリカ人の軍人の車に乗せられてきたとのこと、それを聞いて「何て無謀なことをする子なんだ!」と思ったほどである。

 彼女を含め、何人かで近くの浜辺へ毎日のようにシュノーケリングにでかけた。「深く潜る」というものではなかったが、海面に浮かびながら、下に魚が泳いでいるのを見るのもそれなりに楽しいものであった。私がそのユースホステルを出たのが先なのか、彼女が先に出たのかは覚えていないが、それ以降は私は他の離島に向かい、彼女は東京に戻ったはずである。

 私がこの旅を終えて実家に戻ると彼女からの手紙が届いていた。「住所の交換はしなかったのでは…」と思っていると、東京に帰ってからユースのスタッフに教えてもらったとのことである。

 「いや〜、若い子から手紙をもらっちゃた」とウキウキで読んでいくと…。

「沖縄のユースに滞在しているときは大変お世話になりました。あれから東京にもどり受験勉強に力を入れ、何とか志望校に合格することができました。ありがとうございました。東京大学、理系に入ることができました!」との内容であった。

 

 

備考