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トッピクス - 旅に出よう - 国内・自転車旅行

 

 

 

・与那国島

 

 

 私は、いるもて荘に一度自転車を預け、その他の離島へ足を延ばしてみた。いるもて荘でよく行動を共にしていたIさんも、「オレも与那国島に行きたい!」と言うことだったので、行動を共にした。

 

 

 

■ 与那国島 ■

 与那国島は、西表島の北西約70kmの東シナ海に浮かぶ島である。石垣島からは124km、そして台湾までは111kmの距離を置き、日本の最西端となり「国境の島」となっている。実際のところは良く分からないが、当時は、「与那国島まで行けば、台湾のテレビ番組が見れる」と聞いていたほどだ。

 もちろん、西表島から直接アクセスすることはできない。まず、一旦、石垣島に移動しなければならなかった。石垣島から与那国島へのアクセスは、海路と空路の2通りあり、私たちは空路を利用した。当時の航空運賃は全く覚えていないが「今はいくらくらいでいけるのだろう?」と調べてみると、安いものだと18,000円くらいから往復のチケットを手に入れることができるようだ。船だと約4時間ほどかかり、片道3,460円となっている。「約4時間」というとそれほど耐えがたい時間でもないと思うのだが、それでも空路を選んだのは、単純に「飛行機に乗ってみたい!」というのがあったのかもしれない。

 

 

宿

 与那国島での宿は、Iさんが「有名な民宿がある!」と言うので、彼に任せた。宿の作り自体は特別変わったものではなかったし、ご主人が一人で切り盛りしているようであったが、そのご主人がユニークな人と言うこともなかった。実はこの民宿は、夕食の「すごさ」でその名が知られているらしい。

 夕食の時間になり、私たちが着いたテーブルの上に置かれた皿を見て驚かざるを得なかった。目の前に置かれた大きな皿の上には刺身や野菜炒めなどのおかずが大盛りになっているのである。「すごさ」とは「量のすごさ」のことであった。

 その量は暴力的で、「食えるものなら食ってみろ!」というものであった。現在であれば「じゃあ、ギャル曽根連れて行っちゃうゾ!」などと言えるのかもしれないが、当時、大食い番組などはなかったように記憶している。

 とても食べ切れる量ではなかった。「完食するまで帰さんゾ!」と言われれば、「済みません。3日ほど猶予をください」とお願いしなければならないくらいの量だった。安く食材が手に入れることができたのでこのようなサービスになったのだろうが、「でも、食べ残したものはどうするのだろう?」という疑問は当然湧いてきた。

 

観 光

 50ccのバイクを借りて、島の端から端に行ってみた。これも今でもはっきりの覚えているのだが、バイクを借りてから、行動を共にしているIさんが「この島だったらヘルメットを着用しなくて平気みたいだよ!」と言いだした。「暑いから。面倒くさいか!」ということになり、ヘルメットを前のカゴに入れてバイクを走らせていたが、島の人に「ヘルメットちゃんとかぶれ!」と注意される始末。全くいい歳して、思慮に欠ける行動をしてしまった。

 

 

ダイビング

 与那国島でもダイビングをしているが、ほとんどポイントの記憶が残っていない。あまり大物には出会わなかったのだと思う。ただ、一緒に潜った人の中に、ダイビング雑誌取材班が3名ほどいたのは変に記憶に残っている。

 現在の与那国島のダイビングポイントの一つに「海底遺跡」というのがある。1986年、ダイビングショップの人が「新しいポイントを開拓していこう!」と潜っていたら、島の南部の新川鼻沖で、偶然に巨大な1枚岩を発見した。

 人が加工されたしたような形状をしていたため、発見当初は「海底遺跡ではないか」とマスコミで騒がれて、多くの人々の興味を集めた。だが、現在に至っても「人工説」と「自然説」のそれぞれを主張する人がいて、実際にどちらなのかは結論に至っていないようだ。

 私が島を訪れたのは88年なので、そのポイントに行っていても良さそうなものなのだが…。また冬場は、西崎というポイントにおいて、ハンマーヘッド(シュモクザメ)が見られることも有名で、多くのダイバーが訪れる。

 

 

※YouTubeの張りつけ動画は、直接本文とは関係ありません。

 

 

 

 

備考