トッピクス - 旅に出よう - 国内・自転車旅行
与那国島から戻ると、石垣島で、Iさんとは別れの言葉を交わした。恐らく彼は、そのまま実家のある秋田に向かったように記憶している。私の方は、もう少し離島の旅を続けた次第である。
まずは、石垣島の目と鼻の先にある竹富島に渡った。距離的には約6km、高速船で10分ほどである。竹富島は、島のほとんどが隆起サンゴ礁でできていて、ほとんど起伏のない島である。その上、日本最大規模のサンゴ礁で囲まれる島で、まさに「サンゴ尽くし」の島だ。
ここ竹富島でも、ユースホステルにお世話になった。どのような名称だったかは全く思い出せないのだが、ネットで「竹富島、ユースホステル」で検索してみると「ユースホステル高那旅館」が引っかかってくるので、そこだったのかもしれない。
アルバムを繰ると、男性3人と女性1人の写真が貼ってあるので、もしかしたら、その日のユースの宿泊客は4人だったのかもしれない。恐らく、夕食は全員ユースで済ませたはずである。そして、私は夕食を済ませると、特に彼らと親交を深めるようなことはなく、私は、少し近くを散歩に出たたような気がする。
すると、どこからか三味線の音色が聞こえてきた。その音色に誘われるように歩みを進めていくと、集会所のようなところで、老若男女集まって練習していたのである。踊っている人がいたかどうかは記憶にないのだが、しばらく集会所の周りにめぐらされた垣根越しにその音色に聞き入っていた。派手さなどは一切なかったのだが、何とも心が落ち着ける音色で、「南の島にいるんだな〜」と言うのを実感した。
人間って、妙に変なことを覚えているものだとつくづく思うのだが、私がユースに戻ると、他の宿泊客の姿はなかった。特に気にすることもなく、床についてしばらくすると「おいおい、大丈夫か?」と言う感じで男性陣が部屋に戻ってきた。すぐに「どこかで杯でも交わしていたのだろう」ということは分かった。
彼らもすぐに床に着いたのだが、その一人が飲み過ぎたせいか、トイレに入って「ゲーゲー」やり始めたのである。それは数時間続き、「あんなにゲーゲーやられたら、眠られねえよ!」と思ったのは、今でもよく覚えている。
竹富島に1泊してから波照間島に移動した。波照間島(はてるまじま)は、西表島の南に位置する島。そして、この島を訪れた理由は、有人島として日本最南端の島だからであった。(沖ノ鳥島は、更にその南に位置するが、そのほとんどがサンゴ礁で、満潮時には島の大部分が海面下となり、かろうじて2つの露岩のみが海面から顔を出しているだけ)また、ガイドブックなどには「日本で南十字星が見れる数少ない場所」などとも書いてある。「南十字星」って何となく響きは良いが、私の場合は、夜空を見てもどれがどれだかさっぱり分からない。つまり、「月以外は、前部、星」なのである。
どうも人間と言うのは、「最〜端」と聞くと行ってみたくなってしょうがない生き物である。「なんでそんな端っこが好きなんだろう?」などと思ってしまうが、東西南北という4つの方角の端までたどり着くと、何となく達成感みたいなものが生まれてくるような気がするのであろう。その点に関しては、私も全く同じであった。限られた空間の中で、その隅にたどり着くと「とりあえず行った!」みたいな自己満足があった。
しかし、波照間島までは船で1時間くらのところなのだが、またまた飛行機を利用している。理由は全く分からないのだが、とにかく機体が小さかったことだけは覚えている。乗客は10名ちょっとだったのではないだろうか…。島でどのような行動をしたのかは一切記憶にない。
備考 |
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