トッピクス-バイク・国内ツーリング
免許の改正は私が高校1年生の10月1日からであった。残念ながら私の誕生日は10月であるが、下旬になる。それは何を意味しているかと言うと、「大きな排気量のバイクに乗りたければ、まずは中型二輪の免許を取ってから、試験場で大型自動二輪の試験に合格しないとならない」ということになる。
もう、こればかりは「もう少し早く生まれていたら…」と悔やんでいても仕方がない。大きなバイクに乗りたければ努力して自分で試験に合格しなくてはならない。
そこで、高校1年生の誕生日に16歳になったら、とりあえず教習所に行って中型の免許を取得した。まずは、車検のかからない250ccのバイクを購入して、翌年の夏休みの試験に備えた。
そして、高校2年生の夏休みを全て大型自動二輪(限定解除)試験(限定解除)に当てるつもりでいた。どのくらい受ければ合格するということは全くわからないし、試験を受ければ受けるほど受験料は発生するので、午前中を試験にあて、午後からできるバイトを探した次第である。
で、何をしたかと言うと、スカイラークの厨房で皿洗いのアルバイトをした。最初に面接に行ったときに「午後、なるべく早い時間から閉店まで働きたいです!」と伝えると「とりあえず夕方から働いて様子を見て!」と言われて、「はい。じゃあ、そうします!」と元気に答えたが、内心は「もう少し働きたいのに…」と心の中でささやかに反論をした次第である。
ただ、実際に働いてみると、夕方から閉店の11時までの5、6時間でも皿洗いの作業は非常に辛かった。まあ、面接してくれた人もそれを見通してそう言ってくれたに違いない。
とにかく午前中は毎日でも試験場に通う覚悟はできていた。当時の大型二輪の試験は750ccのバイクが使われ、試験車はホンダのCB750FourかカワサキのZUがメインであった。そして、ときおりスズキの水冷のGT750が使われた。どれも中型免許しか持っていないものからしたら垂涎のバイクで、基本的には試験場でしか乗れないバイクになる。
私の愛車はホンダのCB250Tという250ccのバイクで、試験車の750ccからすれば車重や車高などかなりの差はあった。知人に大型のバイクを乗っているものが全くいないわけではなかったが、公道で借りて乗れば「無免許」となるし、私道と言ってもなかなか適当なところが見つからなかったので、結局は「一発勝負」と言う感じで試験を受けなければならなかった。
まず、試験は倒れたバイクを起こすところから始まる。高校2年生でまだまだ華奢な身体ではあったが、一応、男なのでしっかりと下半身を使って踏ん張れば、750ccで200`は超えていたが、まあ、それほど苦労するものではなかった。
その後は、一本橋、スラローム、急ブレーキ、波状路などを二輪車専用のコースで終えると、今度は4輪に混じってもっと大きなコースでの試験が待っている。
もちろん、その途中で失敗すれば後ろで控えている白バイに乗った試験管から「はい、スタートに戻って!」とマイクで指示が飛び、「あっ、ダメだったか…」とうなだれながらスタート地点に戻らなければならない。
かと言って、最後まで回れたからと言って安心ができるものでもない。途中で引き返さなくても最終的にはスタート地点まで戻ることになり、試験車から下車をする。試験管も白バイから下車をし、後部の白いボックスからチェック表を取りだし、いろいろとチェックを入れていく。この時はドキドキものである。
試験管:「スラローム、しっかりできていた。え〜と、これは○、一本橋、これも問題ないので○、急ブレーキ
は気持ち停止線から出ちゃったかな〜、これはマイナス〜点、坂道発進も発進時に少し後退してしま
ったので、これもマイナス〜点。それから…」
などとブツブツ言っているのを「神様、お願いします!」と思いながら聞いていなければならない。
試験管:「はい。いや〜、惜しかったな!もう少しだったんだけど…。急ブレーキと坂道発進さえしっかりでき
れば今度は大丈夫だよ!」
私:「はい。ありがとうございました!」
と、「ちくしょう!」とは思いながらも、今度、同じ試験管に当たるかもしれないので、ひたすら好印象をあたえなければいけない。結果の善し悪しに関係なく礼儀正しく受け答えしなければならないのは、大きなバイクに乗りたければ当然のことであった。
とりあえず、受けるごとに指摘された箇所は次の試験で同じ間違いを犯さないようにそれなりに努力した結果、何とか8回目で念願の大型二輪の免許を取得することができたのである。バンザイ!バンザイ!バンザ―イ!
備考 |
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