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トッピクス-旅に出よう-海外(その1)

 

 

 

 

・ツアーのメンバー
・ナホトカまで2泊3日の船旅
・ソ連の大地が見えてきた

 

 

■ツアーのメンバー■

 初めて同じツアーのメンバーと顔を合わせたのは船が横浜港から出航する当日で、横浜港内での待ち合わせ場所でのことであった。メンバーは総勢9名。その内、夏休みを利用して旅をしようと言う大学生が7名、残りの二人は社会人のカップルであった。

 添乗員はいない。それぞれ、個人で責任を持って行動をしなければならなかった。ただし、モスクワの2泊に関しては現地のガイドの観光付きとなっていた。あとはひたすら移動するのみ。

 「添乗員なし、個人で責任を持って」と言っても、船中、車中という小さな空間であり人数もこじんまりしていたので、それほど意識することなく「全員集合しているかな?」という意識はすぐに芽生えていった。

 人生初めての海外旅行と言うこともあり、母親、親戚、友人の数人が見送りに来てくれた。まあ、私ももちろん心配はあったが、それ以上に家族のものは「一人で海外を旅行するなんて危なくないの?」と心配していたに違いない。

 出港の時間になり、気づいてみると手には紙テープなどを握っており、思いっきり投げて「じゃあ、行ってくるから!」と見送りに来てくれた人と挨拶を交わし私の最初の海外への旅がスタートした。

 

■ナホトカまで2泊3日の船旅■

 私が乗った船は、横浜港が最初の出港地ではなかった。米国を経由してのものだったので、乗りこんだときにはすでに乗客がデッキやランジなどでくつろいでいて、そのほとんどは西洋人であった。(まあ、ほとんどがアメリカ人なのだと思うが…)横浜港から乗船した人々はほとんどが日本人で、船全体の割合で言うと2割から3割ほどであったろう。

 高校の卒業式直後にバイクで東京から宮崎まで走り、その帰路としてフェリーを利用して以来の船旅となる。あの時も1日近く乗っていたが、今回は2泊3日の海外への船旅であったのでかなり勝手は違っていた。

 部屋は、安いツアーでもあったので、2段ベッドがいくつか設置されている部屋であったが、学生相応のものであり、「こんな部屋なの?」と特に不平を言うものでもなかった。

 船内で過ごす時間が過ぎるにつれて、海外からの観光客とも会話が弾むようになり、お互いの旅のことを話したり、トランプをしたりと、それなりに船旅を楽しむことはできた。

 しかし、天候的には台風が追いかけてくるような感じになっていたので、2日目はけっこう揺れたのである。

 食事時にテーブルの上に置いたコップがテーブルから落ちることはなかったが、右へ左へと大きく動いていった。それほど揺れに強いわけでも弱いわけでも無かった私は、気分が悪くトイレに駆け込むこともなかったが、「全然平気!」とリラックスできるほどの余裕もなかった。

 

■ソ連の大地が見えてきた■

 それでも、何とか大した問題もなく3日目を迎えたときのことである。船内に「あと30分ほどでナホトカ港に到着する」というアナウンスが流れた。急いでデッキに上がってみると、目の前にはうっすらと霧に包まれた荒々しい岸壁が連なっていた。高さは10mから15mほどはあったと思う、その下には白波がたっていた。

 日本人が海外旅行をする場合は、今回のような船を利用するよりは飛行機で行く場合が圧倒的に多いはずである。普通は?自分が乗った飛行機が目的地に当直したときなど「これからが楽しみ!」と胸を膨らませるものなのかもしれないが、とても私の目の前に広がる光景はその様な華やかものではなく、夏なのに寒々としたものだった。

 しばらく眺めていると、霧も少しずつ薄らいでいき、断崖だった目の前の光景も木々に覆われた山々の連なりに変わっていった。そして、貨物船の往来も目立つようになってきたので、ナホトカ港が近いことが感じられた。

 

備考