横浜を出発して6日目にして私たちのツアーは終了となった。現地解散である。ツアーのメンバーはそれぞれ思い思いの地へ赴くこととなるが、大きく、北上してフィンランドへ向かうグループと東欧へ向かうグループの2つに分かれた。
私は北上組に入った。もちろんこれは出発前からの予定である。私の他に北上組は2人いて、みんな同じ列車の切符を購入した。いきなり一人で行動するよりは、ある程度気心の知れた人たちと行動を共にするので気持ち的にはかなり楽であった。
さて、モスクワからフィンランドのヘルシンキまでどのくらいかかったのか全く思い出せない。ちょっとネットで調べてみると、旅行会社のサイトの時刻表で「モスクワ発:22:50、ヘルシンキ着:11:37」というのを発見した。半日ちょっとということになる。まあ、その辺の事情は現在もそれほど変わっていないことであろう。
もちろんモスクワ以降は全くの自由行動で、パリからの帰路の航空券は既に購入して持ち歩いているので、それまでは「どうぞお好きに」という気ままなバックパッカーとなる。「宿泊はユースホステルがメイン、食事は食料品店でパンや缶詰などを購入する」というのがバックパッカーの基本。夏なので寝袋までは用意しなかったが、厚めのシーツと五徳ナイフは必需品となる。パンや野菜を切ったり、缶詰を開けたりしなければならない。
列車の私たちのコンパートメントは4人掛けで、その内、私たちのツアーのメンバーが3人を占めていた。もう一人は20代のパキスタン人の男性であった。彼がなぜモスクワからヘルシンキまで向かっているのかは全く覚えていないが、2点だけ鮮明に覚えていることがある。
その1つは、「僕の右手には指が6本あるんだ!」というのである。それまでは全く気がつかなかったが、彼が
「これだよ!」と言ってその右手を見せてくれたときに、小指の横にその小指よりも小さなサブ小指があった。ただ、他の指ほど力が入らなかったようである。
そしてもう一つは、ソ連とフィンランドのボーダーに差し掛かったとき、「入国時に所持金を確かめられるとまずいので、すこし見せかけのためのお金を貸してくれないか?入国が終わったらすぐに返すから…」というのである。
一次的にお金を貸すだけなら問題もないように思えたが、最初の海外の旅でかなり警戒していた。コンパートメントの彼以外はツアーのメンバーであったので持ち逃げされるとは思わなかったが、素直に「構わないよ!」と言える気持ちにもなれなかった。少し迷った末に「Sorry」と言うと、彼は「Never mind」と返してきた。結果的にはなんの問題もなく同じコンパートメントの4人はフィンランドへの入国を済ませた。
当時、バックパッカーと言えば「地球の歩き方」であった。バックパッカーの全員が「地球の歩き方」を片手に旅行していると行っても過言ではなかった。
もう、今では当時持って行ったものはないのだが、当時の「地球の歩き方」はシンプル極まりないないものであった。まず、私の記憶違いでなければ、写真は一切掲載されていなかったような気がする。それから、現在のように(家の本棚にはタイ、マレーシア、韓国、台湾などのものが並んでいる)国別のものはなく、ヨーロッパであれば、もうそのまま「ヨーロッパ」以外の何物でもなかった。
そして、もしかしたら私の認識が間違っているのかもしれないが、当時、私が購入した「地球の歩き方」の、例えば宿泊情報などは「このホテルはとても安く清潔感がありました(カリフォルニア:キャサリン)」というように、その情報はほとんど(いや、全て…?)海外のバックパッカーからのものであった。
私は旅行中に、海外からのバックパッカーともいろいろと会話を交わしたが、彼らはみな、これも記憶違いでなければだが、「Sho String(靴ひも)」というガイドブックを手にしていた。その内容が「地球の歩き方」に非常に似ていたような気がするので、もしかしたら「地球の歩き方は」それを翻訳したものかもしれない。
いずれにしても、現在、書店などで目にする「地球の歩き方」には隔世の感はある。ただ、先日、ニュースか何かで、「ガイドブックは重いので全てスキャンで読み込んでスマホで見ています」と言っている若者の画像を流していた。
全てのガイドブックがそうなるとは思わないが、これからはそういう流れになっていくのは確実なような気がする。それとも、もうすでに「地球の歩き方」あたりは電子書籍版が販売されているのだろうか?そして、ただの電子書籍としてではなく、例えば、レストランやホテルなどの雰囲気が分かる動画が見れたり、旅行先でもクーポンがもらえるようになることだろう、これからは…。もしかしたら、「もう、そんなの常識!」などと言われてしまうような状況になっていたりして…。
備考 |
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