トッピクス
2011年10月現在、私の父は85歳、母は76歳でまだお迎えは来ていない。母親は毎日の家事をこなしていて元気は元気だが、父親は現在、入院中である。
先々週のの月曜日に、「胸がムカムカして吐き気がする」というので病院に連れて行った。「ちょっと、血液検査をしましょう」ということになり、その結果を聞かされたのだが、ヘモグロビン(Hb)の数値が正常値の半分ぐらいしかないとのこと。これ以上下がってしまうと命に関わることにもなりかねないということで、「まずは入院をして原因を調べましょう」ということになった。
ヘモグロビンの数値が少ないということは「貧血」ということになる。全く別の症状で診てもらおうとしただけにちょっと意外であった。「あれっ、貧血の症状なんてあったかな?」と思いながらも、実際に数値として出ているわけだし、それで命に関わってもらっても困るので、即、入院の手続きを取った。
担当医から「出血が原因による貧血の可能性があるので、まずは胃カメラやエコーなどをして原因を調べましょう。それから栄養状態もあまり良くないので、点滴をして栄養補給をしましょう」と言われたので、「宜しくお願いします」と病院を後にした。
「栄養状態がよくない」と聞かされて、「あれ〜、けっこう食べていると思うけどな〜」と頭の中にいくつか「???」が現れたが、ここはもう専門家にお任せするしかない。
その2日後、病院から「担当医がお話したいことがある」という電話をもらい、「なんだろう?」と一抹の不安を覚えながら急きょ病院に向かった。
担当医の説明を聞くと、ヘモグロビンの数値がもっと下がってしまったということである。原因はおそらく点滴を多くしたので、血がうすくなってしまったのだろうとのこと。とにかくこのままではまずく、輸血をしたいので同意書にサインがほしいといわれたので、言われるがままにサインをした次第。「輸血の話だったのか」と少しほっとした。
「それから、腹部のエコーを取ったのですが…」と写真を見せられ、「左の腎臓のこの部分がどうやら腫瘍のようで、悪性だといけないので造影剤を使って精密検査をしたいと思います」と言われたので、素人としては「はい、お願いします。」と言うしかない。まあ、85年も生きていると、精密検査をすればいろいろと出てくるものである。
結果的にヘモグロビンの数値が低く「貧血」ということで入院したわけだが、私の父には、いわゆる貧血による特徴的な症状の「立ちくらみ」等は全く出ていない。(貧血の人が必ず立ちくらみを訴えるかどうかは不明だが…)
現在の私の父にとって本当に困っているのは背中の痛みである。今年、道で転倒し、胸椎を圧迫骨折している。もちろん大きな病院の整形外科にも通ったのだが、結局のところは、安静にして骨折した骨が固まって痛みが治まるのを待つしかなく、特別な治療法はない。
何回か通院すると、先生からはこれ以上通院する必要はなく、後は自宅でできるだけ安静にするように言われてしまった次第。
今までは杖などは使ったことがなかったが、それからは杖をついての生活になった。杖を使えばある程度の歩行はできるので、トイレや身体を拭くことなどは家族の手を借りることなく自分一人で行っている。
横になっている分にはそれほど痛みは感じないようであるが、寝返りを打つ時や、特にベッドから起き上がるときはかなり痛むようで、顔をしかめながら行っている。
私がネットで、何か良い治療法がないか調べてみると、経皮的椎体形成術(セメント術)という言葉が目に入ってきた。
どうも、潰れた脊椎にセメントを流し込んで固めてしまう術のようで、体験者によると痛みが劇的に改善するらしい。
私の父親は、痛い痛いと言いながらもイスに座ってテレビを見たすることも多く、なかなか安静にしていれない傾向にあった。そんな彼にはこの術はぴったりなのではと思い、サイトをプリントアウトして渡してみたのだが、「自分には合わないようだ」と完全否定。まあ、本人が嫌がっているのを無理に勧めることもできないし、「命に関わることでもなさそうだし…」ということで、それ以降はそれを話題にすることはしていない。
また、体形に合わせて作ってもらったコルセットも、1カ月くらいは何とか着けていたが、今回の入院を機に「付けていると肋骨の方まで痛くなってくる。怖くなってきた!」と今では全く着けていない様子である。やれやれ困ったものだ…。
実は母親も去年の夏、転んで膝蓋骨を骨折してしまい1カ月ほど入院をしている。それは、ちょうど親戚の法事の帰りのことであった。
最寄り駅まで来て、後はバスに10分ほど乗り、最寄りの停留所から1分も歩けば帰宅できるというところだった。駅の階段を下りバス停まで歩いていたときに、私のすぐ目の前で転んでしまったのである。足元はは煉瓦のようなものを敷き詰めたところだったのでアスファルトに比べると多少の凹凸はあったが、通常であれば「転ばないようにしないと」と注意を払うような場所ではない。
その多少の凹凸が原因だったのかどうかは分からないが、転んだときに右膝と口を路面にぶつけてしまった。慌ててかかえて起こすと、唇を切ったようで出血が少しあったのと、膝を押さえて痛がり、そこからの歩行が困難となっていた。
駅前でタクシーは簡単にひろうことができたので、そのままタクシーに乗せ自宅近くの整形外科に向かった。レントゲンの結果、骨折していることが判明し、「ここでは無理なので」ということで紹介状を書いてもらい翌日別の病院で再診断をしてもらった。
診断の結果は、膝蓋骨が3つくらいに割れていて手術を勧められたので、父親の時と同じように、即、入院の手続きを取った次第。
執刀医から手術の大まかな内容の説明を受けた。それは膝蓋骨に縦に2本ワイヤーを通し、なおかつ周りをワイヤーで固定するというもの。そして、1年後くらいを目安に、骨が固まったらそれらのワイヤーを抜いていくということであった。
まあ、手術の内容に関してこちらからどうのこうのいう理由もないし、金属製のワイヤーを抜くことに関してもしごく当たり前のように聞こえたので、「宜しくお願いします」とだけ言って後は無事に手術が終わることを願った。
結果的には、特に問題もなく手術は終わり、1ヶ月の入院生活を終えて退院することとなった。それが去年の9月の初めのことである。今年の7月あたりから、術部の痛みを訴えるようになったので、診てもらったところ、入れたワイヤーが反転していてその先が皮膚にあたっているとのことで、骨も安定しているようなので手術をして抜こうという話になった。
3泊4日の手術および経過観察で退院した後は、手術前の痛みからも完全に解放された。現在では、左右の足の筋肉のバランスもまだ崩れているためか、多少左足をかばって歩いているように見えるが、それ以外は通常の生活を送っている。
以上が私の両親の近況報告になるが、よくよく思い出してみると、父方の祖母は布団につまづいたのが原因で寝たきりに、祖父(母方)は自転車で転倒して頭部を打って死亡している。そして、母方の祖母は、夜、トイレに行って部屋に戻ろうとしたときに、1段低くなっている玄関に落ちてしまって骨折をして入院、結局は退院できなく病院で亡くなっている。
こうして考えていくと、高齢者の死亡原因のうち、転倒が直接的または間接的な原因になっているのがかなり多いのではないかと想像される。
前々から患っている疾患が原因であれば、まあ、変な言い方かもしれないが、多少の諦めみたいなものも出てくるかもしれないが、今までどこも悪いところがなく生活していたのに、ちょっとしたことでの転倒が原因となればそういう気持ちにはなれないだろう。
それに、「転倒 ⇒ 骨折 ⇒ 寝たきり」の過程になってしまうと、「寝たきり」の時間も長くなり、本人にも、そして家族にもかなり負担がかかってしまうに違いない。
さて、私が今一番心配しているのは、同じようなことを繰り返すことである。歳を取れば取るほど、転倒をする危険性は増してくる。母親が入院していた病室にも「今回、2回目なの」という人が少なからずいたようである。
何もしなければますます筋力は弱くなっていってしまう。それは、高齢者に関わらず、20代、30代から始まる。もちろん無理は禁物だが、「もう年だから…」と言って何もしないのではなく、「年だからこそ」という気持ちで積極的に身体を動かしていくことが大切なのだと思う。特に、転倒防止の意味も含めて下半身を積極的に鍛えていきたい。その年齢なり、またはその人なりに必ず身体の動かし方はあるはず。結局、大切なのは「よし、ガンバロウ!」という気持ちなのだ。
女優の森光子さんは今年で91歳で、今も毎日やられているかどうかは不明だが、90歳前まで毎日のようにスクワットをやっていたらしい。だからこそ、長いこと舞台に立ち続けられたに違いない。
私も死ぬまで身体を動かしていこうと考えている。「いや、身体を動かしながらお迎えが来るというのが最高の逝き方なのでは?!」とバカなことを考えている次第である。
備考 |
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