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トッピクス-海外(その2)

 

 

 

 この「海外(その2)」の項の「8月16日 出発」のページで「成田-パリ間の往復の航空券を購入」と書いているが、ギリシャからパリに戻っている記憶が全くない。どうも「往復の航空券」は私の勘違いのようで、帰りはギリシャから直接、帰国の途についているようだ。

 9月24日、とりあえず無事に帰国しているが、当初の予定では23日であった。なぜ1日遅れたかと言うと…。

「ご搭乗中のお客様にお知らせします。先程、成田空港より連絡が入りました。どうも空港内に爆弾が仕掛けられた可能性があるとのことです。よって、当機はこのまま直接成田には向かわず、パキスタンのカラチのジンナー国際空港に着陸を致します。」と機内にアナウンスが流れた。

 機内は一瞬どよめいたが、「まあ、この飛行機に仕掛けられたわけでないし…」とすぐに落ち着きを取り戻した。何人かの乗客とフライトアテンダントとの間で「何時間くらいカラチに滞在しなければならないのですか?」などのやり取りはあったが、フライトアテンダントのほうも「今のところ何とも…」としか答えようがなかったようだった。

 機がカラチに着くと、滞在用にホテルが用意してあるとのことで、日本人の乗客同士で集まりいくつかのグループに分かれてタクシーでホテルに行くことになった。

 私は60歳前後のご夫婦と一緒にタクシーに乗り込んだのだが、このタクシーでひと悶着あった。3人が乗り込んで走り出しても、タクシーの運転手は一向にメーターを下げようとはしないのである。「メーターを下ろさないのだったら停めろ!」と言ってもゴチャゴチャ言って一向にメーターに手を持っていこうとしないので、「警察に連絡をするぞ!」と言うとシブシブメーターを下ろした。

 20分ほどでタクシーはホテルに到着したが、メーターの数字が何となくおかしいような気がしたのでホテルのフロントドアのところに立っているボーイを呼んで、「空港から乗って来たんだけど、この数字正しいの?」と聞くと、ボーイも数字を見てちょっと首をかしげている。そして、「メーターの数字はちょっと良く分からないけど、空港からだったらだいたいい〜くらいなので、〜を払えばいいです」とのアドバイスをもらったので、その金額を運転手に手渡した。運転手は「こんな金額じゃやってられないよ!」と言うような感じのジェスチャーをしながら受け取り、走り去って行った。

 ホテルではタクシーごとに部屋があてがわれた。その時点で、爆弾騒ぎはただの出まかせだと分かり、8時間後には私たちが乗っていた機は再び成田に向かうということが告げられた。約6時間ほどホテルで過ごすこととなったが、それだけあればカラチ市内を多少観光することができるので、希望者はホテル側が用意したバスに乗って市内観光ができるということ。「せっかくだから」と私は市内観光組に入った。中にはホテルの部屋で休む人もいたし、また中には「ちょっと市場を見に行きたい」と個人行動を取る人もいたようだ。

 アテネからの機とカラチからの機が同じものだったのかどうかは記憶も定かでないのだが、座席が違っていたことだけは覚えている。カラチからの機では私の座席は一番前部となり、右隣の席は空席となっていた。あと、2、3時間で成田に着くというところまで来たときに、今まで空席となっていた右隣の席に一人の女性が腰を下ろした。

 「あれっ、この人どこから来たのだろう?」とチラ見していると、今までフライトアテンダントをしていた日本人の女性であった。

 「旅行ですか?」くらいのほんのささやかな会話を交わした程度で盛り上がったわけではないのだが、「コクピット見てみます?」と言ってくるではないか。「ええ〜、いいんですか?」というと「大丈夫ですよ!」ということで、パキスタン人と思われる別のフライトアテンダントさんに声を掛けてくれた。

 その人に導かれて飛行機の最前部に行き、コックピットに通じるドアをノックして開けてくれるた。目の前には青空が広がっていてまぶしいほどであった。どちらが正操縦士でどちらが副操縦士だったのかは分からなかったが、一人が振り返ってくれたので「ハロー」と挨拶をした次第である。

 その後、どのような会話をしたのかは覚えていないが、「いた」といっても1分もいなかったと思う。それでも貴重な体験をさせてもらい、お礼を言って自分の席に戻った。

 それから2時間ほどで何事もなく機は成田に到着し、無事帰国の運びとなった。

 

 

備考