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トピックス-「旅に出よう!」

 

 

 

 

 高校時代は特に部活をすることもなく、暇を見つけてはバイクにまたがっていました。近所に、10才以上年上にはなりますがバイク好きの3兄弟がいて、その影響をもろに受け、中学生のころから「僕も16才になったら免許を取るぞ!」と思っていたものです。

 ただ、このころは暴走族も社会問題となっており、高校生のうちからバイクの免許を取ることに対しては、冷めた目で見られることもありました。

 私立の学校では、免許を取らせてもらえないところもあったようですが、幸い私は公立の高校に進学しましたので、特に規制されることはありませんでした。

 その暴走族対策の一つとして、「排気量400ccを超える大型のバイクは別枠の免許制度」が設けられたのも、ちょうど私が免許を取ろうとしていた年なのです。

 つまり、「小僧が大型のバイクに乗って暴走するのを防ごう」という制度です。それまでは、教習所に通い、既定の時間の教習を終えて卒業をし、運転免許試験場で学科の試験を受ければ大型のバイクは自由に乗れました。

 その新しい制度になってからは、排気量400ccを超える大型のバイクは全て運転免許試験場で実地試験を受けて合格しなければ乗れないことになってしまったのです。

 その新しい道交法が私の誕生日の5日前から施行されました。もちろん、そのことは事前に分かっていましたし、今までバイクの運転をしたこともない者が、いきなり試験場に行って大型のバイクの実施試験を受けるなんていうのはどう考えても無謀そのものでしたので、誕生日が来るとすぐに教習所に通い、中型免許(排気量400ccまで)を取りました。

 そして250ccのバイク(Honda CB 250T)を購入しました。(今でもそうだと思いますが、250ccのバイクは車検がなく経済的で、しかも高速道路を走ることができます。それよりも下の125ccは不可)日曜日になると「ツーリングだ!」と言って、富士山周辺や伊豆の方に出かけたのを覚えています。

 翌年、そこそこバイクの運転にも慣れ、バイクを運転することの爽快感を知ってしまうと「もっと大きなバイクに乗ってみたい!」という感情が湧いてくるのは避けがたいことです。高校の夏休みが始まると、足しげく試験場に通い、夏休みを全て使いきる覚悟でいたのですが、何とか8回目の試験で合格し、ようやく大型二輪の免許証を手にすることができました。

 この時、日本で販売されている二輪車の排気量は750ccが上限で「ナナハン」と呼ばれていました。一部、逆輸入車と称して、各メーカーが海外に一度輸出した大型バイク(900cc〜1,000ccほど)を再び日本に輸入していたものもありましたが…。 

 また、「ナナハンライダー」などの漫画も登場し、バイク人気に拍車をかけていました。つまり「ナナハン」に乗ることが免許を取るものの憧れだったのです。

 さて、大型二輪の免許証を手にしたのですから、憧れのナナハンを購入することはできたのですが、次に私が購入したのがHonda CB 550Fという550ccのバイクでした。なぜこのときナナハンを購入しなかったのかは思いだせないのですが、もしかしたら「次に取っておこう」みたいなところがあったのかもしれません。

 「バイクが俺の人生だ!」などと格好つけていましたので、必然と、高校でもバイク好きの友達ができ、集まってはバイクの話をしました。

 それぞれが所有するバイクの排気量もまちまちです。ナナハンを上限として、原付免許しか持っていなければ50ccのバイクですし、中型免許であれば400ccと言うことになります。また、親の許可が得られず、免許を持っていない者も中にはいました。

 そんな仲間とツーリングに行くときは、もちろん一番小さな排気量のバイクに合わせなければいけないので、自分一人で行く時よりは速度が制限されますが、だからと言って速度を出したくてフラストレーションがたまるというものでもなく、それはそれでまた楽しいものでした。そして、免許を持っていない者を後ろに乗せていくこともしばしばです。

 たまにはアクセルを開いてスピードを出すこともありましたが、暴走行為などはしませんでしたので、結果としては大した事故もありませんでした。(一度接触してこけてしまったことはありますが、擦り傷程度に済みました。私が悪かったのでタンクを弁償した次第です)

 そんな仲間の一人と「学校を卒業したら記念にロングのツーリング行こう!」ということになり、確か7泊8日くらいだったと記憶しているのですが、東京から南下するツーリングに出発したわけです。

 相棒のバイクはナナハン(Kawasaki Z-750)でした。私の方が排気量が小さかったのですが、まあ、550ccもあれば、ロングのツーリングにはそれほどストレスを感じることはありませんでした。

 もう何十年も前のことなので、その時のルートを思い出してみるのですが、「あれ伊豆半島は回ったかな?」とか「九州に入ってからは確か海岸線ではなく内陸を走ったと思うのだが…」と少し記憶に曖昧な部分があります。

 宿泊は、旅館、親戚の家、ユースホステルを利用しました。そんなに無理して1日距離を稼いだようには記憶していません。親戚の家ではとりあえず歓待されますし、観光などにも連れて行ってもらいましたので、時間的にはかなり余裕を取ったような気がします。また、天候は、晴天続きと言うわけにはいかず、雨に降られた日も2日くらいはあったと思います。

 太平洋岸沿いをひたすら南下し、そして、最終目的地である九州の宮崎からはフェリーを利用しました。確か「サンフラワー号」という名前のフェリーだったはずですが、現在は同じルートでのフェリーはないようです。

 確か24時間近くは乗船したと記憶しています。2等の大部屋でしたが、それはそれで初めての経験で楽しかったように記憶しています。そして、フェリーが最終目的地である大井ふ頭に着岸すると、再び愛車にまたがりました。残りの距離は30`弱です。1時間ほど走ると相棒に分かれを告げ、それぞれが無事に帰宅した次第です。

 7泊が長かったのかどうかは分かりませんが、今までそのような期間、家を離れたことがなく、しかもバイクで見知らぬ土地を走っていましたので、本人たちよりも両親はさぞかし心配したことでしょう。無事の連絡もいちいち毎日するようなこともなかったですし…。

 しかし、それからもっと家族を心配させるような人生(かなり大袈裟ですが)を歩むとは、私自身も予想だにしませんでした。「このツーリングがその原点だったのかな」と、今から振り返るとそう思われて仕方がありません。

 

備考