四方山話
     

      

タイ・マレーシア フィットネス紀行/四方山話




「サイショハグー、ジャンケンポン」

 入り口の横のいすに座っていた男性は、新しい客が来たと見ると立ち上がって、扉を開けてくれた。のれんをくぐり店内に足を踏み入れると、カウンターの中では4、5人の女性が慌しく働いていて、新しい客が来たと分かると「イラッシャイマセ!」と大きな声が店内に響いた。
その中に2人ほど見覚えのある顔があり、向こうも私に気づくと寄ってきてくれて「オヒサシブリ。ゲンキデスカ?」と声を掛けてくれた。
ここは「花子」という居酒屋で、前回、5年前の訪タイの時に初めて通い、週に1回くらいの割合で訪れている。それ以来だから、5年振りということになる。
「花子」は純粋な居酒屋である。日本における居酒屋と引けを取らないくらい料理の種類も豊富で、味もグッド、日本人の舌を知り尽くしているという感じである。
メニューは日本語と英語の表記となっていて、カウンターの横には「今日のおすすめ」と日本語で書かれたボードがあり、ローマ字で「SABANOMISONI」「AJINOHIRAKI」などとその日のお勧め料理が書かれている。
料金に関しては、「花子」はこの手の居酒屋では高いほうであろう。日本より若干安いくらいで、バンコクで「日本よりも若干安い」ということは、他の物価が日本の3分の1から5分の1なので、現地の人から見ると「高級料理店」になり、そう簡単に行ける場所ではないことを意味する。
もちろん「花子」は現地の人を対象にした居酒屋ではなく、日本人をターゲットにしているので、日本人のお客さんで商売が成り立てばよく、お客の90%以上は日本人(現地在住及び観光客)と思われる。
さて、通りを歩いているときでも「どこかにお金が落ちていないかな?」とキョロキョロし、自動販売機があるごとに「つり銭の取り忘れはないだろうか?」と返却口に右手の中指を突っ込んで確認しているようなボンビーなこの私が、なぜ高いと認識しながらもこの「花子」に通ったかというと、もちろん料理がおいしくなければ行かないわけだが、「たまにはちょっとは寂しくなるよ」オジサンの心理状態を上手く突いた店なのだ、「花子」は。
座席はカウンターと座敷に別れているが、座敷には一度も座ったことがないのでどれくらいの収容人数なのか分からないが、カウンターのほうは10人程度といったところである。
そのカウンターに座り、店内においてある日本語の新聞を読みながら、「すし盛り合わせB」をぱくつき、ビールをちびりちびりやっていると、「今日はどこ行った?」「いつ日本に帰る?」などと女の子たちと少し話をしたりするのだが、この「少し」が「たまにはちょっとは寂しくなるよ」オジサンには非常に心地よいのである。
もし、女性と会話をすることが目的ならば、居酒屋などには行く人はいないであろう。そのような飲み屋はバンコクには他にいくらでもある。ただ、私の場合は、歳のせいであろうか、そういうのもだんだんわずらわしくなってきている。一人が気楽で良いのだが、全く一人というのも寂しい、とだんだん「わがままオジサン」になってしまった。そういうオジサンさんにとってはうってつけなのである。
また、「花子」のママさんだが、歳は32、33歳くらい、スレンダーで美人なのだが、日々の売り上げ等にもシビアみたいで、「たくさん飲んでもらいなさい。」「たくさん食べてもらいなさい。」と女の子たちに売り上げを上げるように厳しく教育しているようである。
それは、彼女たちとちょっと親しくなると「わたしも飲みないな。」「私はこの海鮮サラダが好きなの。」とおねだりして、「売り上げアップ作戦」に出てくることで分かる。
この場合の「飲みたいな。」というのは、キャバクラではないのだから、彼女たち用の専用のドリンクがあるのではなく、私が飲んでいるビールを飲みたいということで、小心者の私は口が裂けても「ダメ!」などとは言えず、「どうぞ。」と勧める。
そうすると、ウイスキーのオンザロックを作るくらいのグラスを持ってきて、その中に氷をたくさん入れてビールを注ぐので、量としてはたいしたことはない。
「食べたいな。」もちょっとつまんで、後は私が処理をすることになる。とにかく売り上げが上がればよいのだ、彼女たちにとっては。
ただ、懐具合が寂しいときは、いつも最初から「これしかないので」と言っているので、向こうもムリに「飲みたいな・食べたいな」営業光線は浴びせてはこない。
さて、こんな彼女たちであるが、中にとくに親しく話しをする女の子がいた。「特に」といってもカウンターで彼女が暇なときに会話する程度であるから、他の子よりは「会話する時間が少し多い」くらいなのであるが…。
彼女を仮称レックとしよう。このレックであるが、いや、呼び捨ては失礼なので「ちゃん」をつけよう。このレックチャン、通いだして4、5回目のときに私にこう言うのである。
「この間は2階のスナックの女の子たちがとても楽しかった、と言っていたよ。」
「はッ??????」
最初、彼女が全く何を言っているかわけが分からず
「この間って?」
「この間、花子で飲んでから上にいったでしょ!」
花子の上は同じ系列のスナックになっていて、女の子もたくさんいるようだ。
「はッ??????」
「女の子たちが、踊りが楽しかったって言ってたよ。」
「はッ、踊り??????」
やってしまった、やってしまったのである。飲みすぎて、途中から記憶がプッツンである。どうやら、「花子」で飲みすぎて、記憶をプッツンし、上のスナックに行ったようである。そして、踊りまくったみたいだ。エアロをやるようになってから、飲みすぎると「踊る」くせがついてしまった。いかん、いかん。一応、いつも飲みすぎると反省会は開くのだが、全く「学習」しないようだ私の脳は…。
私は頬を引きつらせながら、
「そう、アハハハハ…。」
と笑うしかなかった。レックちゃんは続けた。
「約束覚えてる?」
「はっ、約束????」
「そう、レック(私)と約束した!」
「何を?」
「炊飯器を買ってくれる約束」
「はッ??????」
「忘れた?でも、本当ね。レック(私)と約束した!」
彼女はうそを言っているような感じではなかった。どうやら酔っ払って炊飯器を買ってあげる約束をしたようである。しかし、またなぜ「炊飯器」になってしまったのだろう。もちろん、私の口から「炊飯器」なんていう言葉が出るわけがなく、彼女から言い出したのは確実なのだが、結構、この辺が計算されているような気がする。
自分で簡単に買えるものではいま一つ意味がないし、高価過ぎると買ってもらえる可能性が少なくなる。日常必需品で、そこそこのものが「炊飯器」であったのだろう。私は続けた、
「約束ね…、炊飯器ね…。」
「そう、炊飯器。買ってくれる約束してくれた。」
「で、いくらくらいするの?」
「だいたい1,000バーツくらい。」
1,000バーツというと、当時、日本円で3,000くらいであった。もちろん、1,000バーツ出したからといって、他でその分を節約しなければならないという懐具合でもなかった。繰り返すが、彼女と約束した経緯など一切覚えていない。たぶん、次のような感じで彼女が言い出して、約束しちゃったんだろうな…。
「花子で、レック(私)と話して、楽しい?」
「うん、楽しい、楽しい。」
「じゃあ、今度、レック(私)にプレゼント、OKでしょう?!」
「プレゼント?」
「そう、プレゼント。レックがこうやってお話してあげて寂しくないね!だから、プレゼント、OKでしょう?!」
「プレゼントね…。何が欲しいの?」
「そんなに高いものいらない。」
「いいよ、いいよ、何が欲しいの?」
「えーと、うーんと、Tシャツはあるし、ジーパンもあるし…。」
「いいから、好きなもの言ってみな!何が欲しいの?」
「えーと、うーんと、最近、炊飯器の調子が悪くて、ご飯がおいしく炊けないし…。」
「炊飯器が欲しいの?」
「そんなに高くないから、OKでしょう?」
「しょうがないな、OK、OK。」
みたいな感じで約束してしまったのだろう。ここで1つだけ断っておきたいのだが、私はこのレックちゃんに何かものを買ってあげて、特別に親しくなろうなんていう考えは一切持っていない。特に女性として、彼女に魅力を感じているわけではないのである。
だから、「この間は酔っ払っていて、そんな約束全然覚えていない。」とか、仮に覚えていたにしても「ダメダメ、お金ないから。」と言って断ったとしても、「このウソつき日本人、もう二度と花子に来ないで!」とはならないはずである。
覚えていないにしても、約束したのであれば、その約束は果たさなければならない。「酔っ払い日本人=ウソつき」という印象を与えては日本男子の名誉に関わる。そのようなウワサが店の女の子に広がり、いや、1軒の店の範疇を越えバンコク中の居酒屋にでも広がりでもしたら、少なからず同胞に迷惑を掛け、日タイ友好関係にヒビが入りかねない。
「さて、どうしたものかな〜。」とちょっと迷った。が、「OK、OK。」と私は首を縦に振った。まあ長い人生の中で、そのようなことが1度くらいあってもいいのではないだろうか…。日タイ友好のためでもある。
私は平日のお昼近くに彼女と待ち合わせをして、デパートに行って炊飯器を買ってあげ、お昼をご馳走してあげることになった。
ちなみに、その炊飯器、5年経った今でもしっかりと働いているとのこと。
こんな「花子」であるが、今回も、何回かお世話になった。
クアラルンプールの国際空港を離陸した私のアジアン・エアーの飛行機がバンコクの国際空港に着陸したのは、日曜日の夕方であった。この旅行で2回目のバンコク国際空港なので、審査を済ませ、荷物検査なども一切受けず入国すると、迷うことなく1階まで降りて、エアポートエクスプレスという乗り合いバスに乗り、予約を入れていた「ユースホステル」に向かった。
今回この宿を利用するのは2回目だし、前回のときにデポジットもいくらか支払っているので、何の不安も抱えていなかった。BTSのアソーク駅でバスを降り、宿までは徒歩3、4分。重たいバッグもさほど苦にはならない。1階の受付はガラス張りで外からでも中の様子が伺える。
受付には前回と同じ青年がいた。向こうも私に気づき笑顔で迎えてくれた。思いバックを下ろし、チェックインしたい旨を伝えると。
「I'm sorry, Mr.…, but please stay in the dormitory just one night.」(申し訳ないが、1泊だけドミトリーにしてください。)と切り出すではないか。わけを聞くと、キャンセル等もありいろいろ部屋の調整をしているうちに、私の名前がどこかにいってしまったということである。
まあ、快諾ではないにしても、明日からはシングルの部屋を確保しているということだし、ドミトリーは私1人で、他の客は泊まらせないと言っているので、「分かった。」と返事をした。1泊280バーツ(約952円)である。
バッグを開け、2段ベッドに必要なものを出していると、腹がグーグーと鳴きだしてくると、「スシが食べたいな〜。」となる。もう、そうなると花子の「スシ盛り合わせB」しかない。
1,000バーツ紙幣をズボンのポケットに2枚ほど入れ、花子ののれんを再びくぐった。
日曜日で、店内にはさほどお客さんがいるようでもなく、レックちゃんは「今日はお客さん少ない、ヒマね。」と言いながら私のグラスにビールを注いだ。
私の好きな「スシ盛り合わせ」はA(500バーツ)とB(300バーツ)があり、200バーツも違うので、彼女に聞いてみた。
「ね、ね、ね、このAとBって200バーツも違うけど、Aのほうがたくさん入っているの?」
「おスシの数は同じね。」
「じゃあ、何でこんなにAは高いの?」
「Bのネタはタイだけだけど、Aは少し日本から。」
なるほど、Aは一部を、日本から空輸したネタを使っているので高いのである。もうそうなれば、「たまにはちょっとAでも食べてみようかな。」などという思いはどこかに消えてしまう。Bでも十分に美味である。ネタがタイであろうと日本からの空輸だろうと関係ない。要するに、おいしければよいのである。
私はいつものように、日本語の新聞をカウンターに広げ、ビールをちびりちびりやりながらスシをぱくついていた。すると、珍しく西欧人の男性がタイ人の女性を連れて入ってきたではないか。そして、1つ席を空けてカウンターに腰を下ろした。
特に彼らのことが気になったわけではないが、ちらちらとたまに視線を彼らに移したりすると、男性のほうはスシを食べ、コーラを飲んでいる。タイ人の女性は日本酒を冷でちびりちびりやっている。
この日はよっぽど暇とみえて、特にやらなければならない仕事もないのか、入り口の脇にあるベンチに花子の女の子たちが座ってペチャクチャとおじゃべりをしている。レックちゃんは、彼女が好きだといって注文した「海鮮サラダ」をぱくついている。
すると、私の隣の空いている席に別の女の子が来て「私も飲みたいな〜。」と「おねだり」光線を浴びせかけてきた。
「いいよ、いいよ、飲みなさい。」とおねだりされると「断る」ということを知らない小心者の私がいるのである。すると、「今日は暇だから、ゲームしよう!」と言い出し始めた。
「何のゲーム?」
「ジャンケンゲーム」
「ジャンケンゲーム?」
「そう、ジャンケンして、飲む人を決めるの。ジャパニーズスタイルは負けた人が飲んで、タイスタイルは勝った人が飲むの。」
まあ、いずれにしても誰かが飲むことになる。こんなところにもママさんの教育が行き届いているのである。
特に断る理由もなく、「いいよ、いいよ、やろうか。」ということで、私とレックちゃんともう一人の女の子で「サイショハグー、ジャンケンポン!」が始まったのである。
「勝つ」事に関しては強かったのだが、タイスタイルの場合、勝ったら飲まないといけない。だから、勝てばよいというものでもない。ただ、「飲む」といっても、日本みたいにグラスを一気に空けるのではなく、ちょっと口に含む程度なので、高が知れている。
「勝った!」「負けた!」とワイワイガヤガヤやっていると、西欧人が興味を示しこちらをチラチラと見ている。そのうち、彼が連れてきたタイ人の女性がレックちゃんとなにやら話をしているではないか。
で、彼女は西欧人の彼に「あなたもやったら?!」と勧めている。ここで、彼と初めて会話をする機会があった。
彼はベルギーから1ヶ月の予定でタイを訪問しているとのこと。私が「花子は初めてなの?」と聞くと、「いや、何回も来ているよ。」との返事。「花子のスシは旨いぞ!」というと、
「本当に、そうだ。ベルギーにも日本料理のレストランはあるが、こんなに旨いスシは食べられない。」
と言っている。
「ゲームするかい?」
「でも、ルールが…。」
というので、
「難しくない。これがグーで石を表し、これはチョキでハサミ、パーは紙だ。ハサミは石を切ることができないが、紙は切れる。石は…。」
と説明していると、すぐに理解したようなので、彼も私たちのジャンケンゲームに加わった。
最初はコーラを飲んでいたのでお酒は飲めないのかと思っていたが、負けたら、    彼が連れてきたタイ人の女性が飲んでいた日本酒を飲むと言い出したので、「単にゲームなのだから無理をすることはない。」と言ったが、「大丈夫だ。別に飲めないわけでないから…。」ということで、ゲームは再スタートとなった。
かくして、「ベルギー人の青年」VS「タイ人の女の子(花子)」VS「日本からオヤジ」による「サイショハグー、ジャンケンポン!」でこの夜は更けていくのであった。


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